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【国際恋愛の偏見】日本と外国のはざまで人目を気にしながら君を想う

もくじ

はじめに

「パートナーが外国人だから、目立つ」という僕の悩みがあります。

仕方のないことだとわかっているのですが、こちらをジッと見ている人に気が付くと「何を考えているのだろう」「Yahoo!ニュースのコメント欄に書かれているような、敵意を持たれているんじゃないか」と不安になります。

パートナーが実害のない、本当に些細なマナー違反をしたときには、「これだから外国人は…」と思われているのではないかと心細くなります。

慣れの問題だと思い「気にしない」ように努めてきましたが、感受性が強いせいか、いまだに開き直れずにいました。

ですが、ある人からそんな僕の悩みがひっくり返るような金言をもらいました。その内容を紹介していきます。

外国人パートナーに対する世間の目を過剰に気にしてしまう

僕は、パートナーと外出すると、いつも過剰に人目を気にしてしまいます。

せっかくのパートナーとの限りある貴重な時間。それを、「人目が気になる」などと、そんなつまらないことに費やしてしまう自分を責めていました。

横にパートナーが立っているのに、それよりも関係のない人たちの目のことばかり考えてしまう自分の弱さを嫌っていたし、パートナーに申し訳ない気持ちでした。

文化やマナーの違い

まず、僕は生まれも育ちも日本の、日本人です。

そして、これまでパートナーと5年間生活を共にしてきました。なので、僕は日本人の感覚や視点もわかるし、外国人(パートナーはフィリピン人ですが、この場合は日本以外の人という意味です)の感覚や視点からも、物事をある程度見られるつもりです。

僕のパートナーは「日本にいる外国人という自分の立ち位置」を自覚しているので、マナーや態度にはものすごく気を付けて生活していて、日本に順応しようとしています。

でも、ときどき「日本人でも、そこまでちゃんとしないよ」って思うほど、マナーを過剰に守りすぎるところを見ると、なんというか、ちょっと悲しい気持ちになったりします。

ですが反対に、パートナーの行動に対して「ここはもうちょっと、こうした方がいいんじゃない」というふうに、自分でも嫌になるのですが、日本のマナーを持ち出すときもあります。

そのパートナーの行動とは、別に人に迷惑をかけるようなものでもなく、合理的で本当に些細なことです。

ただ、いままでの日本での生活で染み付いた儀式的なマナーのようなものに、いまだに僕は支配されているので、その心理的な抵抗から人目を気にして、日本のマナーを持ち出してしまうときがあります。

そんな儀式的で些細なマナーに対して、「本当に、バカらしいことだな」と頭ではわかっているのですが、いままでの習性から抜け出せない自分がいます。

日本人サイドにも外国人サイドにも偏りきれない、ジレンマ

なので外出時、日本人の目がある状況に二人でいると、僕はいつも周りの日本人目線とパートナーの外国人目線を忙しく行き来していて、疲れて、しんどくなります。

例えば、盲目的にどちらかサイドについて、反対側を悪く言うっていうのはある意味すごく楽なことだと思いますが、そんなのは絶対に嫌ですよね。

日本人サイドと外国人サイドを行き来していると、ジレンマというか、いつもどちら側にもつけなくて、しんどいです。

うまく伝えられているか分かりませんが、とにかく人の目が気になります。

「それだけ、パートナーのことが好きなんだ」

僕の悩みを聞いてくれた人から、もらった言葉です。

日本人サイドから見てしんどくなるときも、外国人サイドから見てしんどくなるときも、「人目のことを考えて、しんどい」の代わりに、「それだけ、パートナーのことが好きなんだ」と思ったらいいんじゃない?と言われました。

日本人目線になるときのしんどさも、外国人目線になるときのしんどさも、目立つしんどさも、その悩みやしんどさの根源は「そんなに真剣に悩むほど、パートナーのことが好き」だから、そう感じるわけで、例えば、どうでもいい人に対してなら、そんなふうに、そこまで思わないし、ずっとその事で悩まないし…。

それが、回答でした。

話が変わりますが、僕は小さな事柄でも圧倒されてしまい、ものすごく大げさに悩んでしまう性格です。

別の友人にそのことを相談したときに「それは、それだけ豊かな感受性を持っているからで、その副作用よ。物事は表裏一体だから、やっぱり、どっちかだけっていうのは無理よ」と言われて、納得したことがありました。

そして、この場合においても「パートナーが大好きだから、それだけ悩みも大きく見えるということで、ワンセットなんだな」と、納得できました。

おわりに

それでも気にしてしまう人は、気にしてしまうと思います。

ですが、少なくとも、人目を気にしてしまう自分を責めなくてもいいと思います。その理由はここに書いたとおり「それだけ真剣に考えている」からです。

そして、これは僕が思うことですが「自分のパートナーに対する想いを、その想いの分量に釣り合う分だけ形として表現しないといけない」という強迫観念のようなものが、多くの人にあるのではないかと思います。

この場合、形として表現するというのは「人目を気にしない」「周りの目のことではなく、パートナーのことを考える」などです。そして、自分にプレッシャーを与えているのではないでしょうか。

ですが、それだけ真剣に考えているという気持ちは、自分では気が付かなくても、隣にいるパートナーに伝わっているのではないかと思います。

「パートナーに対する自分の気持ちは十分に伝わっている。だから、自分は無理にそれを表現しようとしたり、自分を責めたりする必要はない」と考えることが、パートナーを信じることにつながるのかもしれません。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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