3日目
朝7時、目が覚めた。
冷房の効いた部屋で寝て、体力はバッチリ回復した。
歩き始める。
昨日のことがずっと頭にひっかかっていて、離れない。うつむきながら、沈んだ気持ちで歩き続ける。
もう一人の自分が「なんでこんなことで落ち込んでるんだよ。気持ちを切り替えようよ」といっているけど、気持ちは沈んだままだった。
「なんで僕は、この程度のことで落ち込んでいるんだろう」と思って、余計落ち込んだ。
小さな地区を歩くときに、ときどきその住民に挨拶をしてみた。気持ちの良い挨拶が返ってきたのに、それでも何故か心が晴れなかった。いつもだったら気分が良くなる挨拶も、この日は煩わしく感じて、ただうつむいて歩いた。
「旅、飽きたな」と思った。
人生で初めてやった自転車旅がとてつもなく新鮮で面白かったので、「無職になってからは、毎月旅に出よう!」と思って、この歩き旅をしている。前回の自転車旅のときからうすうす気付いていたけど、「飽きている」と言葉にするのが怖かった。
戸惑った。
家にいるときに、誰かの旅の動画を見るのはすごく面白くて好きだ。だけど最近は、実際に旅に出たら、自分を俯瞰して見られなくて、旅を楽しむ余裕がなくて、旅することに一生懸命になってしまっているような気がする。
それは多分、新しい土地での新しい生活に慣れていなくて、精神的な基盤がグラついているから、今までのように旅を楽しめなくなっているのかなと思った。そして、今は気持ちが沈んでいるから余計、飽きたと感じてしまうのかもしれない。
本当は3泊4日の予定だったけど、「無理してやることはない、2泊3日に切り替えて明日の朝に帰ろう」と思った。
この旅もおしまいだ。
目標を失って抜け殻のように歩いていた。
僕はこうやって、人生の中で、いろんなことから逃げ続けるんだ。
社会人なってからバドミントンサークルに入った。
そこでたくさん試合をしたけど、僕はいつも諦めが早かった。
ヘロヘロになりながら、ずっと粘り続けている人もいた。でも、僕は根性がなかった。ある人が「このままだったら、負け癖がつく」ということで、僕に厳しく当たった。でも僕は、サークル内での人間関係がうまくいかずに、結局サークル自体を逃げるように辞めた。
でも、今日は楽しみにしていた観光スポットに立ち寄る日でもあった。
そして、到着した。
この建物から海中に入る。
海の中の部屋には小窓がたくさんあった。
そこを覗くと、泳いでいる魚が見える。
これは、面白かった。
そして、また地上に出る。
お腹が空いた。
歩いていると小さなソーキそば屋さんを見つけた。
中に入って「いま空いてますか?」と尋ねると、「すみません、今日は定休日なんですよ」とお姉さんが教えてくれた。「わかりました」とお店を出ようとすると、「ちょっと待ってください」とお姉さんがお店の奥へ行った。そして、かわいいサーターアンダギーを手に、戻ってきた。
「ありがとうございます!」とお礼を言うと、「次の街まで、お気をつけてください!」と温かい言葉をくれた。
これが、今日一番嬉しかったことだった。
サーターアンダギーはすぐに食べた、エネルギーが少し湧いた。
そして、代わりのお昼ご飯屋さんを見つけた。どうしてもラーメンが食べたかったので、いろんなご飯屋さんをスルーしてここに辿り着いたけど、これが大当たりだった。
写真を見ただけで美味しさが伝わりそうだけど、ここは本当に美味しかった。ラーメンの汁も最後の一滴まで飲み干した。
そして、今日の宿までひたすら歩く。
両足の裏が痛かった。
ここまでもう35kmも歩いている。僕の足は限界に近かった。もう、どうせ旅を中断する予定だったので、次の駅まで歩いたら、あとは電車を使って今夜の宿まで行こうと考えていた。
駅までの間、痛い足でいろんな景色を見た。
駅の近くのスーパーで晩御飯を買い、ベンチで休んでいた。そして、電車に乗ろうと時刻表を確認すると、一時間待たないといけないらしいので、結局宿まで歩いた。
宿に着いた。
この宿は激安なのに、部屋がとんでもなく広い。部屋には冷蔵庫もあるし、トイレも洗面台もある。またしても最高の宿にあたった。
そして、共用の風呂場に向かう。
浴室の椅子に座り、冷水シャワーを身体にあてた。気持ちよかった。身体から跳ね返った水が、床に置いている洗面器のなかに少しづつ溜まる。洗面器に溜まっていく水を見ながら、ぼーっと考えた。
この旅を明日の朝で切り上げていいのだろうか。
そのとき僕はどんな気分だろう。最悪の気分になるんじゃないか。「どうせ僕は何をやってもうまくいかない」「仕事が見つかっても続かずに、何もかもこの旅のような人生になる」という気持ちになることは簡単に想像できた。というか、もうすでにそんな気分だ。
「ちょっとだけ、意地張って頑張ろうよ」と、もう一人の自分がいった。──そうだなと、僕もうなずいた。
部屋に戻った。
明日は「楽しむ」とかそんなことは考えずに、ゴールまでの25kmを歩き切ることにひたすら集中すると、決めた。
なにがあっても歩き切ると決めたら、踏ん張る力が少し湧いた。
4日目
最終日。
「今日が最終日だ」と、外に出ると雨が降っていた。
一瞬、外に出るのをためらったけど、カッパを着て歩き始めた。
雨の房総半島。僕以外に歩いている人はいなかった。
雨のおかげで気温が低い。快適だった。
最初のほうは水たまりをよけていたけど、よけてもよけなくても靴の中はビショビショだったから、水たまりを見つけるたびに、ジャブジャブその中を歩いた。
通気性のいいランニングシューズを履いていたので、水たまりに入るとすぐに、大量の冷たい水が靴の中を貫通する。
ヒヤっとして気持ちがいい。身体の疲れや、脚の痛みが吹き飛ぶ。気分もいい。
そして、水たまりに足を突っ込むと大量の水が靴の中に溜まるので、靴のクッション性能が高まる。天然のインナーソールだ。脚にもやさしい。
最高じゃないか。
雨がどんどん強くなってきた。
もう、最高の気分だった。
僕はこんな環境のほうが、思う存分楽しめる。世界は雨に沈み、人々は屋内に避難する。そして僕は、太陽の光におびえていたドラキュラが夜になって外に出られるように、思う存分、自分を解放できる。
生きていていいんだと、ほっとする。
「南房総市」に入った。
でも、一面、雨。ずっと、雨。ここがどこかは関係ない。僕は千葉県じゃなくて、雨の世界を歩いているんだ──。
でもやがて、雨も終わる。
そんな気配を感じた。
雨があがった。
もっと雨の中にいたかったけど、ここからゴール地点までは雨の助けを借りずに歩かないといけない。雨が止むと、人々が外に出てき始めた。人々の顔が上を向き始めた。そして、僕はまた下を向き始める。
ゴールまであと少し。
着いた。
とりあえず、ここまで辿り着けた。でも、いままでの旅のような感動はなかった。
僕は何かを求めすぎているのかもしれない。頭の中がいろんなものでゴチャゴチャしてしまっているのかもしれない。コップの中の泥水をかき混ぜると茶色く濁るけど、それがまた透明な水と泥に分離するのを待つのもいいのかもしれない。時間が経つのを恐れなくてもいいのかもしれない──。
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