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【フィリピン旅行記 ♯3】隣に住んでいるアシュリーに出会い、貧困&海外に出稼ぎにでないといけない現実を知る

もくじ

隣に住んでいるアシュリーと出会う

最初の二日間はいろんなことをしたので、今日は家でのんびりする。

二階のベランダで、いろんなものを見ながらくつろいでいた。

二階のベランダには、マリパズさんが育てた植物がいっぱい!
ベランダの水槽の中には、サメのような魚が!
もち米でできている、フィリピンのおやつ!
通行人をパシャリ
南国っぽい
あの角の先にはなにが…
コットンの木!

しばらくして一階に降りると、一人の少女がいた。

彼女の名前は、アシュリー。

「隣に住んでいる子で、家事の手伝いをしてくれる代わりに、ご飯を食べさせている」とソーマが説明してくれた。「私の優秀な助手だ」とマリパズさんが付け加える。

アシュリーは僕を見たとたん、恥ずかしいのか、マリパズさんの後ろに隠れてしまった。時々チラッとこちらを見て、様子をうかがっている。そして僕と目が合うと緊張した表情になり、パッと目をそらす。僕も人見知りなので、アシュリーも僕も二人とも緊張しながら、様子をうかがいあっていた。

マリパズさんはアシュリーに「彼は日本人よ、なにか話してみなさい」という。ソーマは僕に「Go!Go!(なにか喋ってみて!)」という。

アシュリーはまだ小学生なので、あまり英語は喋れなかった。

なので、マリパズさんやサニーさん、ソーマの助けを借りながら、アシュリーとコミュニケーションをとる。そしてマリパズさんが「いま学校で練習しているダンスを、見せてあげなさい」とアシュリーにいっている。

アシュリーは、ハッとした表情でマリパズさんの顔を見る。

「なんてことをいうんだ。そんなの恥ずかしくてできるわけないじゃないか。無理だよ、無理無理!」と無言でマリパズさんにいっているように見えた。そこへソーマが「Go!Go!」とやらざるを得ない雰囲気をつくる。僕たちはバルコニーへ移動し、そして、アシュリーは僕にダンスを披露してくれた。

恥ずかしそうに踊るアシュリー

食卓にてフィリピンの貧困の話

そのあとは、一階に降りてみんなでお昼ご飯を食べる。

そこでソーマは僕にいった。

「アシュリーを見てみて、野菜や肉には目もくれず、ひたすらお米を胃の中に流し込んでるでしょ。アシュリーは八人家族で、食事はインスタントラーメン1袋だけなんよ。それを八人で食べる。お湯をたくさん入れて、めちゃくちゃ薄くなったスープでお腹を満たしてるんよ。だから、ここに来たらひたすら胃にお米をためるんよ」

「フィリピン面白い」とか「楽しい」とか観光気分でいたけど、現実の一端を見たような気分になった。

サニーさんに「ここは貧しい。日本には貧困がないんだろ?」と聞かれた。

僕は「いや、日本にも貧困はある」といいかけたけど、「日本とフィリピンでは貧困の次元が全く違うんじゃないか」と思い、「日本にも貧困はある」とはいえなかった。

ところで、ソーマの家では父親であるサニーさんがいつも料理をする。

これは実家で飼っているウサギのスープ。めちゃくちゃ美味しい!!

まさかのサニーさんと二人だけでのサイクリング

お昼ご飯を食べて、しばらく部屋で休んだあと、サニーさんが「サイクリングに行こう」と僕を呼んた。サニーさんと二人だけだと緊張するので、僕はソーマを呼ぶ。

三人で行く支度をしているときだった。

ソーマが「ちょっとトイレに行ってくる」と消えると、マリパズさんが「さあさあ、行った行った!」と笑顔で僕を家の門の外に追い出した。門の外ではサニーさんがすでに自転車にまたがっていて、準備OKという様子。

「え、え?なんで?」とあたふたしていると、マリパズさんに笑顔で「行ってらっしゃい」といわれ、サニーさんに「レッツゴー!」といわれる。

二人だけでのサイクリングが始まった。

サニーさんは、子供の頃はやんちゃで英語の勉強をしていなかったので、ほとんど英語が話せない。だけど、ジェスチャーが上手くて、ジェスチャーだけで笑わせてくれる、面白くて独特な感性を持った人だった。なので、自転車に乗りながら、単語やジェスチャーだけでやりとりをしていた。

全く知らない国を自転車で走っていると、映画の世界を走っているかのような気分になる。

そして、お墓に辿りついた。

サニーさんのご両親のお墓ということだった。お墓に向かって、タガログ語で「こんにちは」といい、お墓をあとにする。そしてそのあとは、二人で、あてもなくサイクリングをしていた。

家に帰って、ソーマに二人でサイクリングにいったことを話した。ソーマは、トイレを出たあと僕たちがもう出発していたので「え、なんで?」となったようだ。

海外に住んだことのある人からの心遣い

夕食時、ソーマの子供時代の友人とそのお母さんがやってきた。

そして、エマックとサラさんもやってきた。フィリピンに来てから、誰かと会うたびにいつもそのことを事前に知らされていないので、毎回ドッキリする。

食卓テーブルにはタガログ語が飛び交い、僕は無言でうつむく。

言葉がわからないのは寂しい…

その友人のお母さんは、子供を育てるために20年以上オマーンで働いていたそうだ。

そしてやっと金銭的なゆとりができたので、つい最近フィリピンに帰ってきて、ソーマの友人であるその子供と一緒に暮らせるようになったということだった。

そのお母さんが、食卓テーブルで取り残されている僕をよく気にかけてくれた。

「気楽にね」「無理に話そうとしなくても、自分のペースで居たらいいのよ」と、優しく伝えてくれる。カルロスさんやマリエルさんもそうだったけど、海外に住んでその大変さを経験したことのある人は、みんなこういう気遣いをしてくれることに気が付いた。

ソーマの友人と、そのお母さんが帰ったあとは、マリパズさん、サニーさん、ソーマ、エマック、サラさん、そして赤ちゃんのアリス君のおなじみのメンバーでおしゃべりをしていた。

三日目が、終わった。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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