【メンタル日記】複合マイノリティの孤独感と生きるための美学

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僕は自分の居場所がない感覚があります。

どの場所に行っても、「僕はすぐにそこを立ち去る存在」という自覚があります。

なぜなら、僕は同性愛者で精神障害者で外国人パートナーを持っているからです。(心療内科のドクターから「アスペルガーだと思う」と言われたこともあり、自分自身も心当たりがありますが、正式な検査と診断をもらっていないので、ここでは省きます)

それはすべてこの社会では「マイノリティ」とくくられるものですが、それぞれに特有の生きづらさがあります。

そして、そのマイノリティ性を複数持つことを「複合マイノリティ」といいます。

マイノリティというのは、自分がこの社会において「特徴的」だということを意味します。複合マイノリティだということは、自分が「より特徴的」だということでもあります。

なので、自分特有の経験や感性をもっていると捉えると、面白いことでもあるのですが、そのぶん孤独であるとも言えます。

苦しみにぶち当たったときに、自分と同じような状況の人から共感をもらえることが期待できないからです。

ただ、3つあるマイノリティを分解して、1つに対して共感をもらえることはあります。

例えば、同性愛者としての苦しみにぶち当たったときに、同性愛の当事者から、そのことについて共感をもらうことはできます。

ただ、具体的な例は思いつかないのですが、同性愛者としての悩みは、パートナーが外国人であることによる「社会からの偏見」や、自分が精神障害者であることからくる自分の「認知の歪み」と、密接に関わり合っていることが多いです。

それは、それぞれにそうです。

ほかにも、「LGBTQ」や「精神障害」や「国際カップル」についての集まりに行ったとしても、そのテーマについての「マイノリティ性」には理解があり、寛容でも、それ以外のことについては、理解がない人もいます。

例えば、「精神障害」についての集まりの場で、「同性愛」や「外国人」に対して、あまり理解のない発言をする人がいるなどです。

でも、それは考えてみれば当たり前で、僕も他のマイノリティの人に対して無理解な発言をしているときもあると思います。

ただ、こうしたマイノリティが集まる場は、傷ついてきた人が多いので、基本的に優しい人が多いし、他の属性に対して明らかな悪口を言う人は見たことがありません。

でも、そういった無意識のものがにじみ出ている場合があるということです。

それに対して、僕はなにも言えません。僕だって、他のマイノリティに対しての偏見はあるし、理解のない発言に対していちいち説明する気力もないし、それにそういうことはあまりしたいと思いません。

はっきりと悪口をいう人に対しては、指摘することはあるかもしれないけど、内面がにじみ出ていることについては、僕が首を突っ込んでいい領域だとは思わないからです。

そして当事者の集まりを立ち去ります。

話がズレてしまいました。

だから、当事者の集まりにいっても「自分と同じような人がいる」と思えず、むしろ「自分と同じ要素を持っているのに、全然違う」という気持ちが強くなります。

当事者の集まりでさえ孤独を感じるので、一般の集まりだともっと感じます。

だから、「僕の居場所はどこなんだろう」といつも思います。

自分の居場所を探しながらも、半分は諦めています。

それも仕方のないことだからです。

ちなみに人間は「2つ失うと、2つ得られるべきだ。2つ得られると、2つ失うはずだ」という考えが、根底にあるんじゃないかと思います。

でも実際はそんなことはないと思います。

マイノリティ性が3つあることで、生きづらさ(失うもの)が3つあります。だからといって、3つ得られるというわけではありません。

これが現実だと思います。

その現実を生きながら思うのが、それでも、そのしんどい人生の中から、自分なりの美学を磨き出すことを「得られるもの」としてカウントする生き方もあるんじゃないかということです。

自分なりの美学というものは、その長さも重さも価値も、誰にもはかることができません。そんな自分の人生から導き出した美学は、自分を納得させてくれる「人生の答え」として、無限の価値で自分を包みつづけてくれるものだと思います。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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