【求職日記 ♯9】自分は人間以下の存在なのか

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ここまで5社連続で落ちたわけだけど、5社目の不採用通知の電話のなかでB型事業所の利用をすすめてくれた。

そしてそのB型の人とWebで面談をすることになった。

時間の15分前に、PCの前に正座で座り、担当者がビデオ通話の画面に入ってくるのを待っていた。

この時間はいつも緊張する。

待っていると、時間通りに担当者の方が入ってきた。

お互いに自己紹介をし「よろしくお願いいたします」という。

ものすごく感じがよくて、話しやすい女性の方だった。

パワーポイントで作られた資料を見ながら、彼女が説明を進めてくれた。ときどき、「わからないことはありますか?」と尋ねてくれる。そのたびに、わからないことを質問するのだけれど、同じ目線に立って、親切に説明してくれる。心底、ホッとした。

僕は正座を崩して、たくさんやりとりをした。

この会社のパンフレットを見たときから「よさそうなところだなぁ」と思っていたけれど、彼女の話を聞いていると、ますますその思いが強くなった。

ただ、一つ問題があった。

B型事業所で働く場合は、原則としてアルバイトとの併用が禁止されている。

B型事業所では、工賃は出るけど、最初は時給200円だ。

そしてスキルが上がっていくごとに、300円、500円、750円、900円となるらしい。ただ、750円と900円の時給になるにはかなりのスキルが必要になる。

だからおそらく、得られる工賃は月に1万~2万円だ。

僕は、毎月16,000円の奨学金を返済しないといけないし、生活費ももちろんかかるので、それだけでは生活できない。

だからアルバイトで補いたいのだけど、それは禁止されている。アルバイトができるのなら、B型事業所を使う必要はなくアルバイトをすればいいし、本業であるB型事業所のほうに影響がでてしまうというのが、その理由だ。

そのことについて彼女に相談してみると、それは市役所の障がい福祉課が管轄だから、そこに直接行って相談するしかないということだった。

事情を話せば、まれに許可がおりることもあるらしい。

ということで、一旦Web面談を終わらせ、翌日、市役所へ向かった。

障がい福祉課へ向かい、そこにいた人に「すみません、B型事業所のことでお聞きしたいことがあるのですが」というと、その男性はぶっきらぼうな表情で「座って下さい」といった。

そして本題の「B型作業所とアルバイトとの併用ができるかどうかの相談に来たのですが」と切り出すと、ぶっきらぼうな表情を変えずに「できません」と言い放ち、しばらく静寂が流れた。

そこで、僕は食い下がり、細かな事情や「アルバイトとの併用がでいない理由は理解している上で、こうこうでこうなんです」といったことを説明した。

すると、最終的に「そういうことなら、市役所側としてもOKを出せるかなと思います」という言葉を引き出せた。「ただ、〇〇さんにつくことになるケースワーカーの判断になるので、今日話したことをケースワーカーに伝えてください」ということだった。

この話の間中、僕は丁寧に話を続けていたけど、彼はめんどくさそうな表情で、態度も高圧的で、僕にはよくわからない制度の話を次々と、息をつく間もなく投げかけてくる。僕は必死に話を理解しようと食らいついていたけど、苦しくなって動悸が始まった。

なので「もう少し、ゆっくり話してください」といったけど、あまり変わらなかった。

その態度に腹が立った。

彼が何かを確認しに席を立つときに、「障がい福祉課の人はこんな態度なんですか?」というと、「僕はこうです」といいそのまま席を立った。「ひどいですよ」と僕は返した。

彼がまた席に戻り、話をはじめた。

彼の態度が微妙に変わったのを感じた。いわゆる健常者を相手にするときのような、ちゃんとした態度に少し変わったのを感じた。

そして話が終わり、「ありがとうございました」と声を掛けると、彼は早々に部屋の奥に帰っていった。

障がい福祉課を利用したのは今回がはじめてじゃない。

ちゃんとした対応をしてくれる人もいる。だけど、市役所の他の課だったら、絶対にこんな対応はとらないだろうという対応をとられると、「障害者」である自分は、同じ人間として扱ってもらえていないんじゃないかと、ものすごく苦しくなる。

自分は価値のない人間なんじゃないかと思えてくる。

同じ人間として認識されてないんじゃないかと、ものすごい悔しさと、怒りと、悲しさと、無力さが襲ってくる。そして深く傷つく。人間としての尊厳を傷つけられた気分になる。

実は、こんな対応は今回が初めてじゃない。

愛媛に住んでいたときにもあった。

そして家に帰って、気持ちを落ち着けるためにジョッギングをした。それでも、落ち着かないので、お酒を飲んだ。それもだめで、友人に苦しさをぶちまたLINEを送った。それでもダメで、またジョギングをしにいった。

それでも苦しくて、家の中で暴れた。

ドアを蹴って穴を開けて、ものを叩きつけて、自分の身体を殴って、大声で叫んだ。

それでも苦しかった。

「自分は価値のない人間だ」「こんなクズ人間は、消えてしまえばいい」「出来損ないの、欠陥品が」という誰かの言葉を、自分の言葉に替えて、自分にぶつけて、泣いていた。

隣りにいるパートナーがずっと支え続けてくれていた。

こんな僕を人生の相棒にもった、パートナーの不幸を考えると、悲しくてたまらなかった。

優しい言葉をかけてくれるたびに、自分の不甲斐なさが浮かび上がり、つらい気持ちになった。

頓服の薬を多めに飲んで、時間が経つと、気持ちが落ち着いてきた。

「いましんどいのは無職だからだ」「B型で働き始めたら、僕はもっとよくなれる」そう思うと希望が湧いて、そのまま眠った。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛・発達障害グレーゾーン当事者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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