【LGBTQ】同性パートナーが存在することを人とシェアしたい、この気持ちはなんなのか

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僕はいま、B型作業所というところにオンラインで通っています。

僕は精神障害があるのですが、B型作業所とは障害などがある人のための働く場であったり、スキルを身に着ける場であったりします。

一日一回、支援員の方と体調の確認や、他になにか気になることがないかなどを話す時間があります。

そのときによく雑談をするのですが、隙があれば、支援員の方に僕のパートナーの話をよくします。しようと思っているわけじゃないんだけど、無意識にしたくなって、気が付けばいつもしているといった感じです。

ちなみに僕は、支援員の方が、僕のパートナーが同性であることを知っているのかどうか、知りません。

このB型作業所に通う前に話をした、ケースワーカーや市役所の聞き取り調査の方、B型作業所の責任者の人には、パートナーが同性であることは伝えてあります。

ただ、支援員の方にもそれが伝わっているかどうかはわかりません。

僕は、支援員の方たちに、僕のパートナーが同性であるということを知ってほしいという強烈な欲求があります。

だから会話の中で、よく自分のパートナーのことを「妻とか彼女(僕は男なので)」ではなく、「パートナー」と呼んでいます。そう呼ぶことで、感づいてもらえないかなと期待しています。

「支援員の方たちに、僕のパートナーが同性であるということを知ってほしいという強烈な欲求があります」と書きましたが、どうしてそう思っているのか理由があります。

僕は男でゲイなので、初めての人と話すとき、パートナーのことを話さないといけない状況になったときに、「パートナーがこうこうこうで…」と話すと、話した相手からは「なるほど、奥さんはこうこうこうなんですね」と、パートナーが女性であるという前提の返答が返ってくることが、よくあります。

直接的な表現がなかったとしても、ほとんどの人が「パートナー=女性」と頭の中で変換しているのではないかと思います。そしてそれが、強烈に嫌なのです。

ただ、誰かがパートナーを持っていると、その性は異性だと自動的に変換してしまう気持ちはよくわかります。僕も、実際に他人に対してそう思いがちだからです。自分が同性愛者であるにも関わらずです。ちなみにそれは、異性愛が当たり前だという価値観の社会で異性愛者も同性愛者も住んでいるので、そうなってしまっていることです。

なぜ、自分の男性パートナーが女性だと思われることが強烈に嫌なのかというと、僕のパートナーが存在していないような気持ちになるからです。

これはイメージするのが難しいかもしれませんが、僕は子供のころから、「同性愛者はアウトサイダーで、自分の周りにはいない」と当たり前に思い込む社会で生きてきました。同性愛者であった子供の僕は、自分のことを人に言うのが死ぬほど怖くて、できませんでした。だから、自分が同性愛者であるとバレないようにすることに必死で、バレないようにとにかく頑張るというのが、僕の人生の一番の優先事項でした。とにかく隠れて、隠れて、逃げて、逃げて、生き続けてきました。

でも、ある時期からそれを続けることができなくなりました。

苦しくてたまらなくて、この生き方をこれ以上続けたら、自分は自死を選ぶしかないと思いました。それと重なっていろんな出来事があり、僕は覚悟を決め、自分がゲイであることを人に伝える生き方を選びました。

そして、仲のいい人にはカミングアウトをするようにしました。

ほとんどの人が受け入れてくれました。そして、僕が同性愛者だと知って、驚いた人もたくさんいました。

そうやってオープンに生きていくことを始めて、気が付いたのが、人は僕のことを異性愛者だと思っているという事実でした。

当たり前のことですが、自分がカミングアウトしない限り、人は自動的に僕のことを異性愛者だと思うんだということに、改めて気が付きました。

いままでは、自分が同性愛者であるとバレないように、とにかく隠れてて過ごしていたのですが、今度は「僕は同性愛者です」と言わないと、誰一人、僕が同性愛者であるということに気が付かないという現実に出会いました。

皮肉なことに、昔は自分が同性愛者であることを隠すことが生きていくために必要なことだったのに、いまはパートナーが同性であることをアピールしないと、パートナーがこの社会に存在しているという実感を得られないという状態におちいっていたのです。

そんなわけで、いまは昔と正反対で、自分のパートナーが同性であること(=自分が同性愛者であること)を伝えたい欲求に、日頃、さらされています。

かといって、カミングアウトすることは(オープンにしてる僕でも)本当に勇気がいることであり、また自分からいきなり「同性愛者です」と話すのもなんだか変な感じがして(カミングアウトするきっかけがつかめず)、モヤモヤすることがあります。

この記事でうまく伝えられている気がしませんが、同性愛者であることですでに存在感が薄いという前提があって、その中でパートナーを持ち、パートナーの存在も薄くなるという感覚がうっすらあり、パートナーの素晴らしさを知っている僕からすれば、そのパートナーが社会の中で薄い存在であることに、僕の中でものすごく不条理を感じるといった感覚です。

伝えるのがとにかく難しい感覚なのですが、こういったことを感じています。

僕たちは近所の八百屋さんに行くのですが、八百屋さんの人たちはフレンドリーに話しかけてくれます。僕はパートナーのことを友人だと説明しています。(だいたい外では、パートナーは友人だと説明しています)だから、「パートナーは僕の友人」としての会話が始まるのですが、もし僕が異性愛者のように気軽に「彼女です、妻です」と紹介できたら、別の内容の会話が広がるんだろうな、その路線にいきたいな、とよく思います。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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