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【閲覧注意 ♯3】トラウマは怒りと生きるパワーをくれる(発達障害)

これは、過去のトラウマの記録です。
この記事では、発達障害に関する僕の気持ちを綴っています。調子の悪い方や、暗い話を聞きたくない方は、ここで引き返してください。

孤独感についてお話します。

僕が、孤独感を一番感じた時期は、高校を卒業して大学に入った時でした。

その孤独感にとにかく苦しめられました。苦しくて苦しくて苦しくて仕方なかった記憶があります。

なぜ、孤独感を感じていたかというと、僕は人と何かが決定的に違うと確信していたからです。でも、他の人から見て、パッと分かるような外見上の違いがあるわけではないので分かってもらえず、自分自身もその違いの正体が分からず、なので言葉にも出来なかったです。

当時、思っていたことは
「他の人が当たり前にできている普通のことが、僕には何故かできない。そして、その普通のことというのが何なのか自分でもわからない、言葉にできない」
「僕は怪物で、周りのみんなは人間だ。もしくは、僕は人間で、周りのみんなは怪物だ」といったものでした。

目には見えないし、周りからも分からないけれど、僕は何かが決定的におかしい、もしくは欠けている、ズレていると「確信」していました。それが何なのか分からないことも、苦しさの一つでした。

当時、「真の孤独は森の中ではなく、街の中にある」という誰かが言った言葉を知っていました。そして、強烈にその言葉に共感していました。

人と一緒にいたり、会話をしたりすると、自分の自分だけが感じている「ズレ」や「(僕は人と違うんだ…という)違い」が強烈に際立ち、傷つき、どんどん孤独な気持ちに襲われました。

そして、その人の中から外れて、人のいない静かな場所にいると、心が癒されました。あの、人の中という恐ろしい場所から逃れて、一人になったときの慰められるような感覚や、心の底にあるもう一人の自分と会話をして落ち着くような感覚を得られました。

大学の職員に、つらいということを相談しに行きました。そしてその職員が、ある教授を紹介してくれました。そしてその人が、僕の悩みを聞いてくれました。

僕が感じている孤独感について話した時に「そうなんですよ。人間はみんな違って、本来孤独な生き物なんですよ。よく気付きましたね」というようなことを言われました。

頭に血がのぼりました。

「違う!僕が言いたいのはそういう次元の話じゃない!」
話が全然伝わってないし、伝えようと話すほど、伝わらないことに憤りと無力感を感じ、伝えようとするほど(僕と相手との間にあるズレを強烈に感じるので)孤独感が大きくなり、周りの人間がより遠い存在に感じて、傷つきました。

そして、そういう経験を積み重ねるにつれて、次第に人に伝えることを諦めていきました。
(その教授は話を聞いてくれたし、解決に導いてあげようとしてくれていたと思います。ですが、当時の僕は人の気持ちを考えられるほどの余裕はありませんでした)

それから8年ほど経って、僕が27歳くらいの時でした。その時に通っていた心療内科の主治医に悩みを相談しているときでした。

僕の主治医は基本的には話を聞いてくれるだけで、向こうからは本当に必要な時以外はアドバイスなどの話はしてきません。(そして、そのスタイルが僕の精神的な自立を促してくれました)

当時、その心療内科に通う度に毎回、人間関係に関する同じような悩みを話していたと思います。そして、何度目かの時に、先生が「あたなは発達障害だと思います。その発達障害や、家庭環境、同性愛者であることなどが土台にあって、二次障害として精神疾患を発症したと考えています」といいました。
その時、僕はかなり安堵しました。

当時、僕が大学生だった頃から(19歳くらい)、自分の生きづらさや周りと妙にズレている孤独感に苦しめ続けられている時に、その原因を探すためにインターネットで必死に情報を漁っていました。そして、そこで発達障害という言葉を見つけました。

「これだ!!!」と感動しました。

ですが、当時通っていた心療内科の先生には言えませんでした。(当時19歳のころに通っていた心療内科は、今通っている心療内科とは別のところでした)

そして僕は、その心療内科の先生を、物凄く信頼していました。(心療内科を変えた理由は、その先生が辞職することになったからです)

そんなに信頼している先生にも「僕は発達障害じゃないでしょうか?」と聞けませんでした。

なぜなら「いや、〇〇(僕の名前)さんは違いますよ」と言う返答がもし返ってきたら、生きていけないと思っていたからです。

当時感じていた、ズレや生きづらさを支えてくれていたのは「これは僕が悪いんじゃなくて、発達障害という僕自身にはどうすることも出来ない脳の特性があるから、仕方のないことだったんだ!僕が至らないとか、劣っているとか、悪いとかじゃないんだ!」という、僕が発達障害である可能性でした。

なので、とてもとても気になるし、聞きたいけど聞けませんでした。

話が戻りますが、今の心療内科に変わったときも当然「僕は発達障害じゃないかと思うんです」などということは言えませんでした。

なので、先生から「発達障害じゃないかと思う」と言われた時は、嬉しかったです。

そして、その時に「なぜ僕が発達障害だと思ったのか、その根拠や理由を教えてください」と聞きました。

先生は「はっきりとした根拠はないですけれど、私の長年の患者さんを診てきた経験上、あなたはそうだと思います」と言われました。

それ以来、「僕は発達障害なんだ」というアイデンティティをもとに情報を集め、社会や自分を観察し、より自分を理解していくことが出来ました。

社会では普通の人を演じようと、一つ一つ身に付けてきた技術を無意識にたくさん使っているのだと思いますが(その為に、疲れやすく、今の職場でもフルタイムの勤務は出来ませんが)、今では割と楽に生きられています。

ちなみに、今でも人に対して「自分は発達障害です」というようなことは言えません。

そもそも、ほとんどの人が発達障害が何かを理解していませんし「そうは見えない」とか「今、流行ってるからね~」というふうに言われるのが、オチだと分かっているからです。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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