生きるのに疲れた。
いろんな感情を感じることに、疲れた。
最後のひと踏ん張りがきかないような、出がらしのような心が、いつも自分の底にうっすらとある。
だけど、死にたいわけではない。
僕にはパートナーと母親がいる。この二人を悲しませることはできない。
でも、もし僕がこの世からいなくなっても誰も傷つかないのならば、そして「押すと初めから生まれなかったことになるボタン」があるとしたら、押したいような気もする。
例えば、僕の人生が70年あるとして、その一生のうちに流せる涙の総量と、一生のうちに使えるエネルギーの総量が決まっているとするならば、そのうちの80%をすでに使ってしまっているような感覚だ。
一つ伝えておくと、パートナーと暮らす今の生活は幸せだ。ただ、幸せな気持ちと並行して「消えたい」気持ちがある。
ちなみに、なんでそう感じるのか、過去のトラウマを簡単にまとめた記事があるので、よかったらあとで読んでほしい。
そんな感じで、いつもうっすらと疲れているのだけど、いいこともある。
いままでは「自分の死」に対して恐怖しか感じなかったのが、「寿命が来ることで、無になれるんだな」「やがて楽になれるんだな」と思えたことだ。
「寿命」が来たら(寿命を迎えられるかわからないけど)この悩みだらけの世界から脱して、ついに完全な平穏を手に入れられるんだと思うと、希望を感じる。
やはり物事は表裏一体だ。
そして、永遠の平穏を手に入れられるんだとわかったときに、思ったことがある。
僕はいま34歳だ。
人生が70年だとしたら、残りはあと36年。
たったの36年だ。
「たったの36年頑張って生きれば、そのあとは永遠の無が待ってるんだ」と思うと、頑張って命を尽くそうかなと思える。
この記事を読んでくれている人にとって、この記事の内容は後向きと感じるのだろうか、それとも前向きと感じるのだろうか。
ちなみに、この記事を書いているいまの僕は、後向きでも前向きでもない気持ちでいる。
もしかしたらこの気持ちは、やがて消えるのかもしれないし、消えないのかもしれない。
ただ、こんな気持ちでいることも、自分の人生を彩る一つだと感じている。
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