【メンタル日記】しんどい気持ちを素直に言えると、失った自分が帰ってくる

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最近は、無職のせいかストレスをよく感じる。

心療内科で薬を増やしてもらったから、穏やかに暮らせているけれど、なにかストレスが加わると、傷つき、「この世からいなくなればどんなに楽だろうか」ということばかりを考えている。

この世からいなくなることを想像すると、少し心が楽になる。

でも、ストレスを感じてしんどいときは、それだけじゃダメで、友達にLINEを送りまくる。

しんどさを書き連ねたLINEだ。

その友達は、いい意味で変わっていて、そういうことを迷惑に思わず、「しんどいときは、いつでも送ってね」と心から言ってくれる。

今日は嫌なことがあったから、「この世からいなくなりたい」と思い、泣き、その友達にLINEを送りまくった。内容は自分の正直な感情だ。

そんなふうに、しんどさをLINEでわめきちらしていると、ふと居心地のよさを感じた。

19歳のときの、精神疾患で極端にしんどかったころに感じた、唯一の心地よさと似ている感情だった。

僕は19歳のころ、精神疾患を発症した。同性愛者であった自分を受け入れなければならず、また10代の多感な時期というタイミングも重なって、どんなに耐えても耐えても自分の苦しさを人に伝えられずにはいられなかった。

そうやって、自分の苦しさを人に伝えまくって、人間関係やいろんなことが、めちゃくちゃになったけど、自分が自分の苦しさに向き合っているときの居心地の良さを感じていた。素の自分でいられるような居心地の良さだった。

それから、周りの目を気にするようになり、また体調も少しづつよくなったので、頑張って耐えて、自分の苦しさを人に伝えないように気を付けることにした。

元の、人に自分の素のままの気持ちを撒き散らすような「醜い」人間には戻らまいと、固く誓った。

人に頼らないように、愚痴をこぼさないように、もう元の自分に戻らないように、進み続けるように気を付けた。

だけど、いまこうやって、あの頃のように、苦しくなって友達に飾らない素直な感情をぶつけていると、19歳のころに感じた「苦しいながらも、自分だけは自分を見捨てない」というような居心地のよさを感じた。

人に頼らないように気をつけるなんて、愚痴をこぼさないようにするだなんて、アホらしくて、ちっぽけなことのように思える。

なにかと強がらないといけないこの社会で、しんどくても「平気な顔」をしないといけないような雰囲気のこの社会で、素直に感じることがある。

「もう自分は人間として生きてきて、この世界では苦しいんだ」ということだ。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛・発達障害グレーゾーン当事者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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