【テアラロア Day69】NZの先住民族マオリのおじちゃんに出会う

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マオリのおじちゃん

昨夜も雨が降っていた。

ビショビショになったテントを袋にしまい、それをザックに入れる。二日連続の雨で、道が小川のようになっていた。

少し歩いたところで、ハットに到着した。

ドアを開けて中を覗いてみると、「グッモーニング!君の名前は?」と感じのいいおじちゃんが挨拶をしてくれた。

「りゅうやです。おじちゃんはなんていう名前ですか?」と聞き返すと「ラトゥです。よろしく!」と右手が差し出された。

握手をしたあとに、お互いの出身地を話す。おじちゃんはニュージーランドの先住民族「マオリ族」だという。一人でテアラロアを歩いているようだ。

そしてマオリの挨拶の仕方を教えてくれた。マオリは挨拶のときに握手はせずに、お互いのおでこと鼻を合わせて、一緒に鼻から息を吸う。

おでこ(頭)は神聖な場所で、一緒に息を吸うのは「同じ空気を吸う」ことを意味するようだ。

おでこと鼻をくっつけるということで、ちょっと緊張したけど、実際にやってみると、なんだか心が落ち着いた。

そしてラトゥの身体に刻まれているたくさんのタトゥーを見せてくれた。それぞれの絵柄に「母、父、祖母、祖父、息子」などの意味があって、一人で歩いていても、いつも家族と一緒にいるということだった。

ちなみにマオリは、言葉を口にはするけど、それを紙などに書き留めることはしないらしい。その代わりに、絵柄をタトゥーとして残したり、木に絵柄を彫ったりするようだ。

言葉は、貴重なものだからだ。

木に掘られた絵柄やタトゥーの絵柄をみると、なにを意味しているかがわかるらしい。

ヤクザ先生

そしてラトゥが「日本人はタトゥーは彫らないの?」と聞いてきたので「日本ではタトゥーはあまり彫らないよ。タトゥーがたくさんあったら、ヤクザと間違えられるよ」と返した。

すると「あぁ、ヤクザ!実は、30年ほど柔術をしていたんだけど、僕の先生は日本人のヤクザだったよ!」と驚きの答えが返ってきた。

ラトゥのお父さんは、よく怒る、怖い人だったから、怯えて育ったらしい。そして、強くなるために柔術を習ったということだった。

彼は30年間柔術を続けて「力は強くなったけど、それだけのことだった」と話していた。

「自己防衛はできるようになったけど、それだけだった。力は強くても、心が弱い人はたくさんいる」

「それに気が付いて、柔術はやめたよ。ヤクザは心が優しいけど、やっていることが酷いしね」

いまでも彼のところに「柔術を教えて欲しい」と若い人が来るけど、彼は「もう柔術は教えていない。それよりもハイキングに行こう!愛と平和を教えてあげるから」と返すらしい。そして「なんだよ、それ」と若い人は去っていくようだ。

そのあとも話を続けた。

ラトゥはギターを背負いながらトレイルを歩いている。作詞作曲をするらしく、トレイルから街に出ると、ギターケースを広げて置き、弾き語りをするようだ。そこで集まったお金で、食料を買ったり、宿に泊まったりしているらしい。

そして彼にお願いをして、ギターを弾いてもらった。彼のオリジナルソングだ。

めちゃくちゃよかった…。

そのあとも話し続けた。彼とインスタグラムのアカウントと電話番号を交換したあとで、お互いに出発の準備をする。

ラトゥのザックは年季の入った古い超大型ザックだった。筋骨隆々の彼が、重たそうなザックを慎重に背負う姿から、とてつもない重量のザックなんだろうなと推測できた。

ちなみに、ドローンも持ってきているらしい。

いろいろと僕の想像を超えたラトゥと最後にまた、マオリの挨拶と、マオリはしないという握手をして別れた。

精神疾患をもつ人の心の「強さ」

そのあとは、また一人で歩いていた。

気になることがあった。

ラトゥは僕に「君は力は弱いけど、心はとても強い。見ればわかる」と言った。

ベリーにも前に「君は信じられないくらいタフだ。まるで日本刀だ」と言われたことがあった。

ちなみに僕は、精神疾患をもっている。

19歳のときに躁うつ病にかかり、このテアラロアを歩くことができるようになるまで15年かかった。いまは、寛解状態といって、薬さえきちんと飲んでいれば、普通の生活ができるようになった。

そんな精神疾患をもった自分たちは、よく「心が弱い」と表現される。

僕も、そんなふうに周りから言われてきたし、自分でもそう思ってきた。

僕は、人生の中で、顔面にニンジンをぶら下げられた馬のように、いつも自分の弱さを嫌というほど見せつけられてきた。

でも、うまく生きてゆけず、そんな弱い自分に悩みつづける体験は、一種の修行だったのかもしれない。

多くの人は、自分の弱さを見ないようにする。でも、ある限界まで達して病気になると、嫌でも自分の弱さを突きつけられ、それに対処しないといけなくなる。放っておくことができなくなる。

自分たちは、そんなふうに修行をすることで、「強さ」を手に入れたのかもしれない。

ただここでいう心の強さとは、一般的な社会で評価される強さとはまた違うんだろう。

強さの「角度」が、また他の人とは違うんだと思う。

特殊な状況で、その角度がピッタリと合ったときに、思わぬパワーが発揮されるのかもしれないと、思った。

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著者

栃木県在住の35歳。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、ヘルパーの仕事をやめて無職になる。躁うつ病(完解済み)・同性愛・発達障害グレーゾーン当事者。趣味は登山で、ニュージーランド1300kmの歩き旅を終えたばかり。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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