【昔の話】大学のサークル選びで合唱部に入る

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今日は寒い。

パートナーは今夜、友達の家に遊びに行っていて、そのあと泊まることになっている。

僕は一人で家にいる。

節約のためにダウンジャケットを二枚重ね着している。急に一人になると、なにをしたらいいかわからなくなる。だから今夜は昔の話をここに書きたいと思う。

昔あったことは、嫌なことばかりだった。だけど、いまは昔とは違う。昔よりも、いろんな面で恵まれている。だから昔のことは終わったこととして語れる。

大学生のころの話をしようと思う。


大学生になると、すべてが上手くいくんじゃないかと思っていた。

高校の嫌な同級生たちから離れられるし、ここには大人の世界が広がっている。そしてここには心を開いた、彩り豊かな人間たちがいると思っていた。

友達と呼べる人がいなかった当時の僕は、ついに心を分かち合える友達がここでできるんだ、と楽しみにしていた。

友達を作るにはまずはサークルに入らないといけない。僕はいろんなサークルを訪ねた。

中学高校とソフトテニス部だったので、体育会系の人とは気が合わないことはわかっていた。だからここでは文化系のサークルに入ろうと思った。

最初に扉を叩いたのは合唱部だった。

部員が50人以上いるマンモスサークルで、サークルの人々は優しかった。

僕と同じタイミングでサークルに入った人は「カルトみたいで怪しい」といっていたけど、僕はカルトっていうのがなんなのか分からなかったので、とくに何も思わなかった。僕は優しい人が好きだった。

でも、そんな優しい人たちと気が合うというわけでもなかった。誰か気の合う人と友達になりたいと思ったけど、誰とも気が合わず、優しい人たちは優しいんだけど、優しいだけで僕の心には触れなかった。

僕も彼らの心の触り方がわからなかった。

ある日、部員全員で旅行に行った。相変わらず僕はみんなの輪に溶け込めなかったけど、旅行に行くバスの中のみんなの楽しそうな雰囲気を見ながら、僕は青春の1ページ目を開いたんだと、心をときめかせた。

グループがあると、大体その中で誰が面白い人か、誰がクールな人か、誰がキャプテン気質な人かというキャラがはっきりと分かれていたように思う。面白い系の人がユニクロで買った服のLサイズのシールを、気付かずに服に貼り付けたまま着ていた。それを周りの人がツッコんで、笑いが起きた。

僕はバスの一番後ろの席から、その様子を見ていた。

いま思い返すとしたら、その思い出は春の景色のようだった。

明るい色調で、ほんのり鮮やかな線が物を形作っている。桜吹雪がずっと舞っているような、不思議な高揚感もあった。きれいだけど、軽く、なんにも残らないような鮮やかさと、無意味さがあった。

僕はそのあとに、サークルをやめた。

次に選んだのは書道部だった。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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