【自分語り】ドラえもんが助けてくれると信じていた

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僕は高校生のときまで、ドラえもんが実在すると信じていた。

子供のころは、ドラえもんを見るのが好きだった。漫画でもよく読んでいたし、テレビでも毎週、録画して見ていた。

小学生のころは、ドラえもんは実在すると思っていた。中学生のころも、いつか目の前に現れると思っていた。高校生になると、半分存在を疑い始めたけど、それでも存在すると信じていた。

子供のころは、生きるのが苦しかった。

一人で遊ぶのが好きで、人と遊ぶのは好きじゃなかった。だから、いい人間関係もできなかったし、友達も(一時期できたけど)できなかった。

中学生の終わりから、家庭環境が悪くなり始めた。

そんないろんなつらさから、ドラえもんが僕を救ってくれると思っていた。

目の前に「どこでもドア」があらわれて、僕の気持ちをすべてわかってくれて、話を全部聞いてくれて、問題を全部解決してくれると思っていた。

だから、部屋にいるときも、外にいるときも、どこでもドアが現れるように念じていた。

空想の世界の中で、ドラえもんとよく会話をしていた。

空想の世界のドラえもんは、漫画のドラえもんと同じで優しかった。

いつも優しい言葉で慰めてくれていた。

でも結局、ドラえもんは現れなかった。

厳しい現実に立ち向かわないといけなかった。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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