子供のころ、僕はものすごく小心者で臆病者だった。
それは、いまでもそうだけど、昔はもっと臆病者だった。
小学生のとき、僕はいつも慎重だった。石橋を叩いて渡るどころか、石橋を叩いても渡らないという人がいるけど、僕もそうだった。
だから、そのことで馬鹿にされていた。
ある理科の授業で、ビーカーにある液体を、別の液体が入っているビーカーに移し替えると、液体の色が変わるという実験があった。
そこで僕がその役をすることになった。
いつもの僕なら、ビーカーの液体を別のビーカーに移し替えるだなんて、大それたことをするのが怖くて、おそるおそるやるところだった。なんでかわからないけど、いつも、何事も、おそるおそるやっていた。
でも、今回もいつものように超慎重にやったら、またみんなに馬鹿にされると思い、「清水の舞台から飛び降りる覚悟」で、一気にドバっと移し替えた。
すると、それを見た担任の先生が、ものすごく感動した様子で「やったな!○○のことだから、どうせソロソロ入れるんじゃないかと思っていたけど、こんなに大胆に入れられるとは思ってもいなかった!すごいぞ、よくやった!」とほめてくれた。
クラスのみんなも驚いていたかどうかは、昔の記憶なので覚えていない。
ただ、先生が猛烈に感動していた。
液体をドバっと移し替えただけなのに、それだけなのに、めちゃくちゃ感動していた。それくらい昔の僕は、慎重なタイプだった。
でも、大胆なことをしたのは、これが最初で最後だった。
そのあとはいつものように、大人しく、慎重で、臆病な自分で学校生活を送っていた。
そんな小心者の僕は、ある悩みがあった。
それは登下校中に、誰かが後ろを歩いているのに気が付いたときや、僕がなにかをしているのを誰かに見られているときに、振り返って相手を確認することができないという悩みだ。
なぜ振り返れなかったのかというと、それがとてつもなく怖かったからだ。
なんで怖かったのかは、わからない。相手がこちらを見ていないときに、相手を見ることはできたけど、自分が相手をみていないときに、相手がこちらを見ていると感じた瞬間、身体がこわばってしまう。怖くて相手に振り返れなかった。
当時の僕には、これは強烈な悩みだった。
なぜなら、振り返れないたびに、「自分は弱い人間だ」と自己嫌悪にさいなまれるからだ。
だから、毎日登下校中に、誰かの視線を感じると、「今日こそは、今日こそは、振り返るんだ!強くなるんだ!」と思い詰め、振り返ろうとするも、一度もできなかった。
これは小学生のときだけじゃなく、中学生になったときも一度もできなかった。高校生になっても一度もできなかった。
結局一度もできなかった。
僕は弱い人間だと自分に烙印を押した。そのことが自分を苦しめた。僕は強くなりたかった。弱い自分が大嫌いだった。なぜ自分ばかり、こんなに弱いのかと攻め続けた。それでも弱いままだった。
子供時代の苛烈な人間関係の中で、強くならないといけないことを嫌でも教わる。それでも僕は弱かった。強くならないと自分がどんどん傷つくのに、自分は弱くあり続けた。
大人になった僕は、いろんな経験をして、ある程度強くなった。
でも子供時代の徹底した弱さは今でも、心の底を這っている。

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