僕は幼少時代を、愛媛県の田舎で過ごした。
人がまばらな田舎道を歩いていると、たまに地元の人とすれ違う。そのたびに挨拶をすると、笑顔で優しくあいさつを返してくれる人が多かった。
あの、胸が温かくなる感覚が好きだった。
そこから大人になっていく過程の中で、僕は抱えきれない問題を抱えることになった。

その結果、精神障害を持つことになる。そして僕は、同性愛者でもあった。さらに、いまは外国人のパートナーがいる。
これらは全部、人の目には見えないマイノリティ性だ。
大人になった僕は、栃木県に引っ越した。
人の目には見えないマイノリティ性を抱えた僕が、昔と同じように栃木県の田舎道を歩いていても、挨拶をしてくれることや、与えてくれる好意に対して、胸が温かくなることはなかった。
僕は人生を通じて、いつも優しさに飢えている。
だから好意がもらえた瞬間は嬉しくなる。でも、そのあとはある考えがよぎる。
「この世界の優しさは条件付きだ」という考えを思い出し、我にかえる。
人は、相手を自分の理想の形に当てはめ、それに対して「優しさ」を与える。
僕は、見た目は「人の理想の形」だ。だけど、内面はそうじゃない。彼らにとっての「普通」ではない。彼らはそれを知らない。もし彼らがそれを知ったら、僕に対する態度が変わるかもしれないという「余地」が、いつも僕と人との間にはある。
ずっとある。
どうして、こんなふうに思うようになったのかというと、僕にはいくつかのトラウマがあるからだ。
ある日、僕は河原でギターの練習をしていた。
すると、散歩をしているおじちゃんが近寄ってきて、フレンドリーに話しかけてくれた。優しく笑顔を見せながら話してくれたので、嬉しくなって、僕はいろんなことを話した。
20分くらい話したあとで、おじちゃんから「結婚はしているのか?」という言葉が出てきた。
僕は「していないんです」と答える。すると、おじちゃんが「結婚するなら…」と、僕が女の人と結婚をする前提で話を広げ始めた。なので、すかさず僕は「僕は、同性愛者なので結婚はできないんです」と答えた。
すると、さっきまで笑顔で仲良く話していたおじちゃんの表情が一気に変わった。
そして「ハッ、同性愛者はいかんわい!」と捨て台詞を吐き、僕の返答を待つこともなく、どこかへ去っていった。
僕は動けなかった。
頭も働かなかった。
ショックだった。
さっきまで楽しく話していたのに、僕が同性愛者と知った途端、態度を180°変えて去っていったことが、ショックだった。人間はそんなことができるのかと、放心状態だった。
おじちゃんにカミングアウトする前とした後の僕は、なにも変わっていない。
どちらも同じ僕だった。
なにも変わらないのに、「同性愛者だ」といっただけで、おじちゃんは態度を180°変えた。
おじちゃんは僕の「なに」と会話をし、僕の「なに」に対し笑顔を向け、僕の「なに」に好意を抱いていたのかがわからなかった。
僕はずっと僕だったのに、彼は誰と話していたんだろう。
その日は、時間差で、怒りが湧いて収まらなかった。
それ以降、このことがトラウマとなった。
仕事で、毎週会う人がいた。
彼と毎週話すうちに、仲良くなった。向こうも明らかに、僕に好意を向けてくれていたし、僕も彼が好きだった。だけど、彼に対して好意を感じた瞬間、恐怖がよぎった。
もしかしたらこの人も、僕の正体を知ったら、信じられないくらいに態度をガラッと変えるのかもしれない。
結局、僕は彼に踏み込むことができなかった。
彼だけじゃなく、いつも誰かと、仲がよくなり始めると怖くなる。そして彼らとの間に、壁をつくってしまう。
僕は最初からなにも変わっていないのに、僕の「正体」を告げた途端に、相手の態度が変わるという経験を、「精神障害者」としても、「外国人パートナーを持つ人間」としても、したことがある。
さっき話したおじちゃんほど、劇的に変わったわけじゃないけど、そんな小さな体験がいくつかある。
そして、「同性愛者」であることを伝えたときの、あの、おじちゃんの、信じられないくらいの態度の変わりようが、いまでも心に残っている。
だから、僕がどこかへ行ったときに、誰かが好意を示してくれたとしても、それは「健常者で、異性愛者で、日本人パートナーを持っているであろう」自分に対して、優しさをくれたんだとしか思えない。
優しさを示してくれると、もちろん嬉しい気持ちは少しは湧くけれど、すぐに、そんな冷めた自分になってしまう。
そんな僕が見るこの世界は「条件付きの優しさ」で溢れている。
だけど、僕のパートナーをはじめ、僕のそんな内面を知ってて付き合ってくれる人もいる。
僕の正体を知っても、変わらず優しさをくれる人もいると、小さな希望を信じながら生きていきたい。
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