僕は日課でジョギングをしています。
風邪をひいて、仕事を休むために上司に電話をするのが怖いので、いつも晴れた日にやっています。だけど、今日走っていたら雨が降ってきました。それも土砂降りです。
最初は、風邪をひく心配をしていましたが、雨の中を走っていると気持ちよくって自然と笑顔になれました。晴れた日のジョギングも気持ち良くて笑顔になるときはありますが、今日ほどではありません。
このとき、僕に適した状況は、雨の中のようなところなんだなぁと気が付きました。
土砂降りの雨の中にいると、僕と周りの人との間に大量の雨粒がバリアを張ってくれます。
守られているような感覚になって、外に対してのビクビクしたおびえる気持ちがかなり和らぎます。視界も悪くなって、周りの人もあんまり見えなくなります。そして、周りからも僕のことが見えなくなる。そして、多くの人は雨のわずらわしさに気をとられているので、僕のことなんかそもそも見向きもしなくなる。
その時に、僕は自由になったような気分になって、「堂々と呼吸をしてもいいんだ」と不安が和らぎ、安心感を得て、自分らしくいられることの気持ち良さに身をゆだねられます。
雨のジョギングは幸せのひとときでした。
晴れの日が、世の中のスタンダードとして定着しているような気がします。
なので、一年のほとんどを占める晴れの日は、多くの人にとってはお祭りのような時間なのだと思います。僕も晴れ自体は好きですが、晴れの日の外の雰囲気が苦手です。雨の日のみんなが足元を気にして下を向いているその時に、僕は堂々と前を向いて歩けます。
僕は昔から、こうでした。
小学校の授業中、鬱々とした教室で、みんなで団子のように一塊になって授業を受けているとき、外で雷が鳴り、激しい雨が地面をたたきつけ、教室の中の音が薄れました。
そのとき、教室の見えない空気に圧迫されて窮屈だった心に、クラスメイトも先生も学校も太刀打ちできない雷の巨大な音が心地よく響き渡り、やっと呼吸ができるような安らぎを得られました。
教室の中のような、風通しの悪い場所が苦手でした。
その教室の中から、雷や大雨、台風などの大きな自然の音を聞くと、僕の心がその自然の音とリンクし、身体は教室の中にいながらも、心は自然に導かれ、終わりのない大きな世界を歩いているような安らぎを得ました。
仕事中も同様です。
精神的にいつも過剰になにかに取り囲まれている僕に、癒しをもたらすのは大自然という「何にも囲まれていない」その在り様です。
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