【メンタル日記】人間の尊厳は命をこの世につないでくれる最後の砦だ

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人が生きていられるのは、周りの人の支えがあるからだ。

そして、自分の支えがあるからだ。

僕はこの間、市役所の障がい福祉課で、他の課のような、健常者を相手にする課だったら、絶対に取らないであろう態度をとられた。

僕が障害者だからこんな態度を取られるんだと思うと、ものすごく悔しくて、怒りが湧いて、悲しかった。そして、自分の無力さを感じだ。

そのあとは毎日、そのときの出来事が頭をよぎる。怒りが収まらなくて、家で暴れて物を壊す。何故だか悲しくて涙が毎日でる。死にたくなる。

なんでこんなに、傷ついているのかというと、人間としての尊厳を傷つけられたからだ。

僕は人間以下の存在だと、間接的に言われた気分だった。

同じ人間として対等に扱われなかった。

「自分には生きている価値がない」「人間としての価値がない」という思いが、ずっと頭から離れない。

例えば、スキルがないから僕には価値がないとか、お金がないから価値がないとか、仕事がないから価値がないといわれると、腹立たしいけど、それはナンセンスだと頭のどこかで思える。

ただ今回、自分に価値がないと感じる理由は、僕が僕だからだ。

僕が僕だから、ダメなんだ。

僕は僕だから、人間扱いされないんだ。

自分を根こそぎ、否定された気分だった。それが、人としての尊厳を傷つけられたということだった。

人が生きていられるのは、周りの人が支えてくれるから、そして自分が自分を支えているからだ

でも人間の尊厳を失うと、自分で自分を支えることができなくなる。

急に死にたくなる。

僕は人間としての尊厳が傷ついたけど、失ったわけではない。

だから、不当なことを言われたりされたときに、自分の尊厳を守るために、それに対して怒ったり、主張をすることが大切なんだと思う。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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