僕はいま無職だ。
一日でやることといえば、ブログの更新やアレンジ、SNSの更新、部屋掃除…くらい。もっとたくさんやっていると思っていたけど、こうやって並べてみると思ったより少なかった。
そして、そんなことをしているうちに夕方のオレンジ色の光が部屋に射し込む。
あぁ、嫌だな。
「自分は何をしているんだろう」「相変わらず、時間を無駄に過ごしているな」と思いながら、何をしていいかわからず、PCの開け閉めを繰り返している。
このオレンジ色には見覚えがあった。
20歳位のころ、僕はアルバイトに5つ挑戦した。
最初はスーパーの商品補充、次はコンビニ店員、そしてゲーム屋さんにポスティング、ゲイバー。
そのころはちょうど精神の調子がよくなくて、アルバイトを始めては辞めてということを繰り返していた。
最初の商品補充は1年間続いたものの、コンビニは2か月、ゲーム屋さんは3日、ポスティングは3か月、ゲイバーは2か月で辞めた。
自分の体調が悪かったというのもあるけど、コミュニケーションが下手だったり、仕事がなかなか覚えられなかったりして、どれも続かなかった。
そして、働くことが怖くなって、家に閉じこもった。
精神の薬を飲んでいたし、過去のトラウマで疲れ果てていたということもあって、毎日16時間くらい寝ていた。
夜の12時に寝て、目が覚めると夕方の16時ということがザラにあった。
僕の一日が始まったときに、外の世界では日が沈み、会社員は一日を終えようとしている。オレンジ色の光に包まれながら、悲しくてたまらなかった。
そのまま一日を終えるのは悲しすぎるので、外に出て近所を散歩した。僕が生きているということを、外の世界に刻み付けたかった。それが僕にできる精一杯の抵抗だった。
そんな日を何日も過ごした。
僕は無力だった。
話を今に戻すけど、何もせずに家のなかに閉じこもる一日は苦しい。
だから、一日一回は外を散歩するようにしている。近所の田舎道を歩きながら、毎日変わらない景色を見ている。景色がいつも同じように見えるのは、進歩がないからなんじゃないかと思える。
僕は34歳。たったの34年しか生きてないと人は笑うだろうけど、もう十分生きたような気がする。
人生の中でいろんな感情を感じることに疲れた。悩んだり、心配したり、不安になったり、それに対処しようとしたり、自分を奮い立たせたり…。
だけど、こんな感情も「2024年12月3日の僕」が感じたこととして、アルバムにしまわれる日が来るのかもしれない。
そう信じて、今日も散歩にいってみる。
近所を10分歩くだけの小さな勇気なんて誰の記憶にも残らないけど、未来の僕が覚えているかもしれないから。
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