はじめに
日帰り登山を続けていると、頭のなかにチラチラと思い浮かぶ「テント泊登山」。
でも、なかなか勇気がでないし、こわいですよね。道具もいろいろと揃えないといけないし、どんな道具がいいかわからないし「まぁ、今はいいか」とおっくうになり、後回しにしてしまいますよね。
道具はまた次回説明しますが、実際にテント泊をやるというのはどんな感じなのか、その魅力を紹介しようと思います。
テント泊登山6つの魅力
山の中で過ごすという体験がすでにスリリング
いつも眠っている家以外で、眠る時ってありますよね。
例えば、旅行でホテルに泊まるとき、誰かの家で寝泊まりをするとき。いつもとは違う非日常に、落ち着かなさを感じつつも、ひそかに興奮していませんか?
山で寝るとなると、その不安や興奮も、ものすごいレベルになります。
僕が住んでいる愛媛県は熊が基本的にいないとされている地域なので、テント泊はやりやすいのですが、それでもイノシシなどの色んな野生動物がいる中で、それも知らないフィールドで眠るということは、僕たちの想像力をかきたててくれます。(熊がいる地域だと、熊対策も考えましょう)
特に夜は、「何がいるんだろう」「どんなことが起こるんだろう」と勝手に怖がったり、安心したりを、心の底から全力で繰り返します。
こんなこと普段の生活の中で、できますか?
はじめてのテント泊は、いつまでも記憶に残る一日になるでしょう。
豊かな山の表情が見られる
日帰り登山は、まだ陽の明るいうちに下山できていることが理想なので、登山中は時間をいつも気にしています。なので日没の気配を感じると、少し気持ちが焦るかもしれません。
ですがテント泊登山では、ほとんど時間のことは考えません。
好きなだけ歩いて、疲れて、日没も近くなったときに「ここらへんで、適当な場所を見つけてテントでも張ろうか」と自由な感覚で歩けます。
そして、普段の日帰り登山では見られない日没の瞬間を、夜には遠くの街の夜景や星空を、完璧な暗黒と静寂を、ビール片手にのんびり堪能することができます。
そして翌朝、夜明けとともに始まる新たな一日を、特別な感情でスタートすることができます。
テント泊×読書で深い夜を過ごせる
テントを広げて、荷物の整理整頓をして、晩御飯を食べ、軽いストレッチをし終わっても、時刻はまだ19時です。
山の夜は、外も歩けないので特にやることがありません。
そんな時に読書の登場です。最近は電子書籍も登場しているので、読書灯もいりませんし、本の重量を持ち運ぶ必要もありません。そして、やることがなく、本がある。
これは、もう読むしかないですね。
テント泊×読書の組み合わせは、本当に相性がいいと思います。僕は読書が好きで、気になる本はたくさんストックしているのですが、いざ読むとなると集中力も必要になるし、おっくうで結局読んでいない本がたくさんあります。
なので、テント泊に本を持っていくというのは「お寺の修行にSNSアプリがたくさん入っているスマホを持って行かない(あまりよく知らず、想像ですが…)」のと同じくらい相性がいいのではないかと思います。
そして、なんといっても「山の中でテントにいる瞬間」は不安や興奮が入り混じって、感覚がものすごく鋭利に、新鮮になっています。そんな時に本を読むと、驚くぐらい本の内容が頭に入ります。
さらに、本の内容とそのときの鋭利な感覚が相まって、そのときの読書という行為自体が、一生忘れることのできない解像度の高い記憶として頭の中にしまわれます。
いつでも思い出せるテント内のあの光景は、静寂、暗がり、そしてあの時に読んだ本です。
自分にとって大切なものが浮かび上がる
読書もはかどりますが、さすがに何時間もぶっ続けで読み続けるのは難しいですよね。
そして読書をやめたときにできることは、「何もしないこと」です。
昔の僕がそうでしたが、仕事などの社会生活を無理して頑張って、いつのまにか自分自身とはぐれていませんか?
ふと考えたときに、いまの自分が昔の自分と変わり果てていて、どうしてしまったんだろうと悲しくなる瞬間はありませんか?
それでも、考える時間をつくることもなく、「仕方ない」と振り切り、全力疾走し続けていませんか?
自分は何をしたいのか分からなくなって、いつも感覚がマヒしていませんか?
「大量の情報を浴びて、忙しい現代人に必要なのは、何もしない時間だ」「自分は何がしたいのか、何が嫌いなのか、一番大切なのものは何なのか、気付くために南の島でぼーっとすることが大切だ」などと言われますが、そんな時間つくれますか?
スマホやパソコンがある部屋で、何もしないことなんて、できますか?
もう、改めていう必要はないと思いますが、電波もあまり入らない山でのテント泊は「何もしない」ということに関して、うってつけの機会だと思います。
ちなみに一度しただけでは「自分にとって大切なもの」や「好きなこと、嫌いなこと、したいこと、したくないこと」は、なかなか浮かびにくいかもしれません。僕の場合ですが、10回目くらいから頭がクリアになり、そういったことが思い浮かぶようになりました。
地上で生活しているときは、ほとんど考えているつもりはなかったのですが、テントの中にいるときに思い浮かぶのは、いつもパートナーのことです。
地上ではパートナー以外にも、「登山」や「自転車旅」「写真」「歩き旅」「友人」のことなどを頻繁に考えているのですが、テント泊中は自分でも驚くぐらい「パートナー」のことしか考えられなくなってしまいます。
下界では味わえない匂い・音・空気
そして、夜が終わり朝がやってきます。
いろんな種類の鳥の鳴き声で目が覚めます。宝石が流れる川のほとりにいるかのような、本当にきれいで澄んだ音色です。テントのジッパーを開けて、外にでます。
「うわぁ」って思います。
洗練された自然の空気と、早朝のモヤがかかった独特の雰囲気に感動し、立ちどまります。本当に贅沢な瞬間です。
テント泊をすることで、早朝だけでなく、夕暮れや、真夜中の空気や匂い、動物の声など、そのネイチャーワールドをまるごと味わえます。
不便を知り、足るを知る
これが、テント泊の醍醐味だと思います。
テント泊はとにかく不便で、快適ではなく、夜は心細いです。文明社会の豊かな生活に慣れている僕は、テント泊をするたびに「いままでの家での生活はこんなにも快適だったのか」と、日常生活の有難さを、毎回痛感します。言葉の通り、痛すぎるくらいに感じます。
ですが、それがいいのです。
テント泊をしている間は、とにかくとにかく日常が恋しくなります。そして、山から家に帰ってきたときに「あぁ、有難い!家、ありがたい!」と声を出さずにいられません。「あぁ、家は最高だなぁ」「文明生活は最高だなぁ」としみじみしながら、しばらく過ごします。
そして、その有難さが薄れてきたら、また山に泊まる。
このサイクルを繰り返していると、日常生活の中の小さな幸せに対する感受性がグッとあがります。山は山で楽しいし、日常生活は日常生活で幸せ。山は山で幸せだし、日常生活は日常生活で楽しい。
山に疲れたら日常生活へ、生活に張りがなくなってきたら山へ。このサイクルを続けていると、山も日常生活も、どちらも楽しみ続けていられます。
おわりに
僕がはじめてテント泊をしたときは緊張や不安でいっぱいでした。夜も怖くてたまりませんでした。
ですが、3、4回ほど続けているとだんだん慣れてきて恐怖心は和らぎました。
むしろ、最初のあの不安と興奮は、「最初の頃しか味わえないスペシャルな感情だったんだなぁ」「今はもう味わえないんだなぁ」と時々、思い出しています。
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