どの分野に行っても染まり切れず、さめた自分がいる

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こんばんは!

もう250記事も書いているんだけど、ブログの月の収益が100円にいかないので、ブログで生活費を稼ぐのはあきらめました。はじめのころのように、丁寧にきれいに書くのはやめて、ラクに書こうと思います。そのぶん、いままでよりも正直に、素直に書いてみます。

今日のお題はいつも自分が感じていたこと。

いままで、音楽をやったり、詩を書いたり、ボウリングをしたり、バドミントンをしたり、劇団に入ったり、書道をしたり、登山をしたり、旅をしたりしてきたけど、どれも自分の「場所」じゃないと感じて、いまもどこと言うわけではなく、彷徨っています。

それぞれに、その界隈の雰囲気ってあると思います。

僕は、どれにもなじめずに、どれをやっても、その界隈の雰囲気に「なんか違うなぁ」と感じて、さめてしまいます。

昔は作詞作曲して、ピアノの弾き語りをやっていたことがあったのですが、ライブに出ると、他のバンドやソロでやっている人に出会います。

ライブバーの雰囲気とか、その他もろもろ、なんか違うなぁ。自分の居場所って感じがしないなぁって、いつも思っていました。あんまりリラックスできないし、素の自分でいられないし、自分を「音楽をやっている人の雰囲気」に近づけないと、と焦ったりしていました。

自分に「音楽をやっている感じの人の雰囲気」がないのが不安で、僕が音楽をやってていいのかなと思っていました。

まぁ、そんな雰囲気は別になくてもいいと思いますし、音楽をやっている人からしたら「なんや、それ」って思う話だと思います。

でも、僕の中では、なんか違うなぁという違和感が強烈にあって、自分を説得させるということができませんでした。

劇団に入っていたころは、劇団や芝居人特有の雰囲気(すべての人がそうというわけではないのですが)に、ちょっと怖気づいていました。なんだか、これも自分とは違う世界の人たちだなぁという境界線が、いつも微妙に頭の中にありました。

登山をしていたときも、登山自体は好きだったのですが、登山のマナーなどに過度に固執する人たちや、その風潮に嫌悪感がありました。登山のアプリで出会った人たちと、実際に会って、一緒に山を登ることがあるのですが、「○○岳がどうのこうの、とか、○○山がどうのこうの」という山好きのマニアックな話には全く興味が傾かずに、むしろそういう話を聞くたびに、気持ちがさめていきました。

そのときに、「あぁ、僕は登山というものが好きじゃないのかなぁ」と思ったりしました。

僕は、有名な山じゃなくてもいいし、景色の見えないうっそうとした森のような山でもいいし(むしろ好き)、とにかく山の自然の中を歩くこと自体が好きだったので、多くの山好きの人たちとの乖離があり、それが気になっていました。

旅も好きだけど、たまに出会う「旅好きな人」と会話をしていても、彼らの熱量が凄くて、僕は内心、ちょっとひいてしまいます。

これらすべてのことに共通しているのは、みんな、そのことに対して「ものすごい熱量をもっていて、他があまり気にならないくらいハマりきっている」ということです。

自分は、なにかにハマることはあるけど、ハマりきらないんです。

そして、いつもちょっと、さめているんです。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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