「優しさ」という言葉について、どう思いますか?
昔の僕は「優しさ」なんて白々しいし、虚しい言葉で、口にするのも恥ずかしいと思っていました。
「優しさ」の裏には必ずピュアじゃないものが含まれていると考えていたからです。
それは今でもそう思うし、少し人間不信(改善したいと思っています)なところがあるので、「優しさ」という言葉にはやはり抵抗があります。
ですが、この間ふと「昔の自分は、実は、素直にこの優しさが欲しかったんだ」と思い出して、涙が出ました。
というのも、「傷つきながらも、人間不信になりながらも、それでも人に優しくありたい、優しさを信じていたい、優しくあろうとしたい」と感じさせる人に出会ったからです。
世の中の人も、あまりよく知らないけれど、やはり傷だらけで生きているんだと思います。
だから、優しくしようとする人の優しさが、たとえ表面的であったとしても、優しさを「表そう」とする気持ちにカケラでも、ほんの少しでも本当の優しさが宿っているのではないかと思いました。
そして、それを信じてもいいのではないかと思いました。
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