「同性愛(ゲイ)」関連のことは、まだ心の整理がついてないので、あまり筆が進まないのですが、今回はあるエピソードを書いてみようと思います。
自分は同性愛者ではないけど、同性愛者だった
まずは中学生時代の話をします。
中学生のころは、まだ自分がはっきりと「同性愛者」であると自覚していませんでした。ですが、無意識下では「自分は男の子が好きだ」と気付いていました。
「え、どういうこと?」と自分でも思います。矛盾したことをいっているようですが、「同性愛者であることに気付いている自分」と「同性愛者であることに気付いていない自分」が共存していました。
好きな女の子を「つくった」中学生時代
中学生のころ、教室の中は「好きな人」の話で盛り上がっていました。
「好きな女の子おる?」「好きな女優は?」「どんな女の子がタイプなん?」
こういった話がサイクロンのように教室の中で渦巻いていたので、僕は「自分が同性愛者であること」を隠すために、「好きな女優」や「この学校で好きな女の子」「タイプの女の子」の設定をつくっていました。
こういった質問は隣にいるクラスメイトから突然、突き付けられます。
そして、ドキドキしながらも「設定しておいた嘘」を自然に答えて、自分は「ちゃんと」異性愛者であることを伝えます。毎回「嘘が下手で、バレたんじゃないか」と緊張しながらも、相手の自然な反応をみて「隠し通せた」と安心します。
第一関門を無事、突破できたような気分です。
でも第一関門を突破できても、第二、第三と続きます。僕はとにかく「自分の設定した嘘」に自分を溶け込ませることで、自分が嘘そのものになることで、この関門をクリアしようとしていました。
ちなみに中学生時代は、別のクラスの女性を「僕の好きな女の子」として設定して、みんなに伝えていたので、その人に告白するように仕向けられたり、僕がその人を「好き」だと勝手に本人に伝えられたりしていました。
いまの自分がもし同じ状況にあったら、好きでもない女性をつくりあげて、しかも本人に「好き」だと勝手に伝えられて、やるせない気持ちになるんだろうと想像できますが、当時は「演技」をすることに全力を注いでいたので、やるせないというよりも常にドキドキハラハラしていました。
演技が過剰になって下ネタを連発していた高校生時代
中学時代が終わり、高校時代が始まっても、僕が同性愛者であることに変わりはありません。
それどころか、このころになると次第に「自分は同性愛者なんじゃないか」と気付き始めました。なので同時に、それを隠そうとする力も増していきます。そして僕は、過剰な演技をするようになりました。
どういうことかというと、主に高校一年生のときの話ですが、僕はクラスメイトから「女性好き」だと思われていました。
同性愛者であることをカモフラージュするために、下ネタを連発していたからです。
女性に対する下ネタを連発すればするだけ、僕が同性愛者だと疑われる確率はどんどん減っていきます。
僕はすでに嘘の人生に完璧に溶け込んでいたので、下ネタを連発することで、自分の鎧がどんどん最強に近づいていくような気分でした。
ありのままの自分はそこにはなく、自分がつくりあげた「女性好きな自分」がどんどん「自分」として定着していきました。
そのことに虚しさを感じるような「ありのままの自分」も、いなくなっていました。僕はすでに嘘そのものになっていたからです。
最強の鎧の副作用
このときは、「異性愛者のようなふるまいを完璧にする自分」という最強の鎧を身につけることに成功しましたが、それには大きな副作用を伴いました。
ありのままの自分を置き去りにして、人生をずっと嘘の自分で生きていくなんて、できませんでした。そして、とてつもない苦しみが僕を襲い、精神疾患を発症しました。
嘘の自分でずっと生きていくのは、とてつもなく苦しい、ならば「ありのままの自分を少しづつ受け入れよう」と方向転換をしたのはいいのですが、それまで「ありのままの自分」を封じ込めてきた反動が一気に自分に襲い掛かり、僕は自分を受け入れられず、その衝動で自殺未遂をしました。
隠して生きていくのも、ありのままの自分を受け入れるのも、どちらを選んでも、とてつもなく苦しい。それが副作用でした。
おわりに
クラスメイトが話しかけた「女性好きな僕」、クラスの女の子がひいた「下ネタを連発する僕」。
あのときの「ありのままの僕」は一体どこにいたのか、いまでも思い出せません。そもそも存在していたのか、迷子でずっとさまよっていたのか。
いまでも少し、探しています。
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