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【生きづらさ】見えないマイノリティ性を複数もつと人の輪に入りづらくなる

僕は昔から、人の輪に入るのが苦手でした。

それは、僕が内向的な人間だったからです。そして大人になった今、内向的ながらも人と関わることが少しずつできるようになってきました。でも、あることが理由で、また人の輪に入ることができなくなりました。

それは、僕がもっている三つのマイノリティ性です。具体的には、「精神疾患」「同性愛」「外国人パートナー」の三つです。

初対面の人と接するとき、多くの人は僕が「精神疾患を持っていて」「同性愛者で」「外国人パートナーがいる」ということに気が付きません。目に見えないからです。

そして、会話のなかで「精神疾患」「同性愛」「外国人」に対する嫌な言葉が出てくるときがあります。相手は、目の前の僕がそうではないと思い込んでいるから、いっているんだろうとわかりますが、「そうか、この人はそんなことを思っているのか…」と落ち込みます。

そのマイノリティ性に関する嫌な経験が、これまでの人生で積み重なっているので「相手の発言に対して自分の正体を明かし、やんわりと訂正をする」という気力がなく、僕は静かにその場から姿を消します。

そして、初対面の相手が一人ではなく、少人数のグループになった場合は、それだけ「嫌な言葉」に出くわす機会も増えます。単純計算で×かける人数分です。

そしてマイノリティ性が複数あると、それだけそういう言葉に出会いやすくなります。単純計算で×かけるマイノリティ分です。

3(マイノリティ性)×4(グループの人数)₌12倍(嫌な言葉に遭遇する確率)

誰かと知り合って、その人が僕に好意を見せてくれているときに感じる感情は二つです。「嬉しい」と「恐怖」です。

同性愛の例えを使います。僕は人生で何度か、自分が同性愛者であると打ち明けることで、否定的な態度や発言をもらったことがあります。

なので今でも、誰かが僕に好意を見せてくれたり、笑顔を向けてくれたりすると、反射的に「その親しみや笑顔は、僕が同性愛者だと知った瞬間に、信じられないほどに変わってしまうのだろうか」という疑いが、脳内をかけめぐります。

そして、怖くなります。

目の前にある大好物のチーズにも手が届かないネズミの心境です。

だから逆に、僕は、いつも人の好意に飢えています。

田舎道を歩くときに、地元の人にあいさつをしたら笑顔で返してくれることがあります。そのときに、僕の心は一瞬満たされたような気分になりますが、「この人もそもそも僕の正体を知っていたら、こんな笑顔はくれなかったかもしれない」という答えのない考えが、いつも頭に入り込みます。

僕はあいさつが好きですが、あいさつで満たされることは一生ありません。

圧倒的なマジョリティの人ならば、このあいさつも好意も、素直に受け止められるのかなと、考えても仕方のないことを考えたりしています。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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