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【うつ病】最低限の収入があれば十分だと職場のベランダで思う

もくじ

「普通の人」を目指して

僕が週5日勤務にいたるまでの話です。

僕はもともと、精神疾患や発達障害などの影響で精神的に疲労しやすく、週5日のフルタイム勤務ができませんでした。ですが、多くの人がフルタイムを頑張って働いているのに、それができない自分をとてもじていました。

誰かに何かの都合で「どの曜日が休み?」と聞かれると、週に4日ある休みのうち、2日だけをいつも伝えていました

「なんとしてでも、自分を週5日勤務ができる人間に引き上げないといけない」と、いろんなサプリメントを試したり、断酒をしたり、運動をしたりしていました。どんなことをしたら体調を崩すのか、どんなことをしたら調子が良くなるのか、自分の観察日記もつけていました。

その努力のおかげで、週5日勤務ができるようになりました。

自分の成長が嬉しかったし、みんなのように「仕事、嫌だなぁ」「あぁ、明日も仕事か」と愚痴を言える資格を得られたような気分でした

ですが、長くは続きませんでした。

結果的に、週5日勤務ができたのは、一年間だけでした。

最初のころは、「できなかったことができた」という嬉しさから気合で乗り切れていましたが、最後の方は身も心もボロボロになっていました。

毎回、職場に向かって原付を走らせていると涙が出てくるし、大げさではなく2週間に一回の頻度で風邪をひくようになりました。最終的には、喘息ぜんそくになり「もうこれ以上続けるのは不可能だ」と泣きながら上司に電話をしました。

そして、週5日勤務から週3日勤務に減らしてもらいました。

週3日勤務に減らしてもらってからも、過労による体調不良が半年間続きました。

当時は週3日の勤務でもかなりキツく、仕事以外の時間はずっと横になって身体を休めていました。

しっかり寝ると、朝にはすこし体調が良くなったような気がしますが、10分ほど家事をしていると急激に身体が怠くなり、息も切れてくるので、横になっていました。

このとき「僕は本当に週5日勤務ができないんだな。週5日勤務ができないのは甘えではなく、仕方のないことだったんだな。普通に働けない自分を責めるのはもうやめよう」と、自分を受け入れられ、肩の荷が下りたような気分になれました。

やっと理解できた幸せ

上司に泣きながら電話をする少し前の出来事です。

ボロボロの状態で、この日も職場で心にむちを打ちながら働いていました。

灯油をみに職場のベランダに出たときのことでした。灯油缶を地面に置いて、ポンプを手にとり、しゃがみこんだ時、一瞬ときが止まりました。

自然の匂いが染み込んだ秋の風が吹いてきて、ふと、幸せを感じました。

「ずっとこの風の中にいたい。もう元の世界に戻りたくない」

そう思いながらも、元の世界に戻っていくわけですが、この時に気が付きました。

この心地の良い秋風に包まれるだけで幸せなんだ。特別なものは必要ない。この幸せを感じ続けられる時間と心の余裕が欲しい。それと比べたら、無理して稼ぐお金なんて必要じゃない。最低限あればいい。僕は、この風で幸せを感じていたい…。

自分にとって大切なものはなにか、理解できた瞬間でした。

苦しみの中で研ぎ澄まされる感性

大切なものに気付けたのは、僕がボロボロだったからかもしれません。

体調が悪ければ悪いほど、感覚が鋭く研ぎ澄まされていくのを感じます。普段のなにげない小さな幸せが強烈に輝き始めます。小さな幸せの存在感をありありと感じられるようになります。

僕たちは、風邪をひきますよね?

風邪をひいて「あぁ、苦しい、苦しい」と思いながら部屋で横になっているとき。静かな部屋が静まり返る瞬間があります。そして、ふと、自分の身体の苦しさから「自分は今ここに、確かに生きている」と自分の存在を感じ、「はっ」とする瞬間があります。

その時に、身体は苦しいのだけれど、ホッとするような、生きている喜びを、存在する喜びを感じる瞬間があります。そして、また元の「苦しい、苦しい」という状態に戻ります。

その、自分の存在を感じられたとき、自分が自分に一番近づけた瞬間に、自分が一致する喜びを感じているのだと思います。

節約生活が小さな幸せを教えてくれた

週3日勤務になってから、節約生活をしなければならなくなりました。

節約せざるを得ない状況が、自分がいま持っているものにじっくり目を向けるチャンスを与えてくれます。外に外に拡大していく欲をいったん抑えると、その反動で、自分の内側の世界を冒険する機会が生まれます。

自分の部屋の中にある、取るに足らないと考えていたものたちに対して、一つ一つにクリアな存在感を感じるようになります。

そういった、自分の内側にあるものや、小さなもの一つ一つに目を向けられる感性が育てば、小さな幸せを見つけやすくなります。

そして、節約生活中のような小さなもの一つ一つに目を向けられる状態、つまり、あまり余計なものがないシンプルな状態のときに、僕たちは自分自身の存在を感じやすくなるのではないかと思います。

「自分自身の存在を感じるということ」と「周りのものの存在を感じる」ということは、うまく言えませんがイコールのような気がします。

そして、そんなときに、自分が一致する喜びや幸せを感じられるのかもしれません。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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