大学の「知り合い以上、友達未満」の関係が、僕をずっと孤独にした|昔の話 #4

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昔の話 #1~3 までは大学に入ったけど、相変わらず友達ができなかったことを話してきた。

でも、ついに僕と遊んでくれる人たちができた。

でも彼らは、僕が憧れていた「心を開いて話せる」人たちではなかった。

つねに「知り合い以上、友達未満」だった。

それでもその人たちとは、僕が精神の病気になり大学を中退する3回生まで、定期的に遊び、話をした。

もくじ

ピエロになってつなぎとめた関係

彼らと知り合ったのは、なにがきっかけだったのか覚えていないけど、おそらく授業で一緒のグループになったんだと思う。

一人は大分県から来た人で、残りの二人は地元の人だった。

僕ら四人は、定期的に彼らのアパートに集合したり、カラオケでオールをしたりするようになった。

こう書くと、聞こえはいいんだけど、実際はそうでもなかった。

まず、僕はそのグループのなかでも少し浮いていたので「僕:残りの三人」という構図になることが多かった。四人グループの中においても、僕以外の三人は三人として仲間意識を築いていた。

僕はそれを受け入れるのが嫌で、自らピエロのような役にまわった。

今まで友達がいなかった僕は、ちゃんとしたコミュニケーションの取り方(もしくは人と人とのあり方)がわからなかったので、彼ら三人にからかわれたり、「いじり」という名の嫌な言葉をもらうことが、親密さの証なんだと思って、喜ぶフリをした。もっといじってくれと欲しがった。

内心は、もちろん違った。

嫌な言葉を言われたり、馬鹿にされたりするたびに「僕が本当に欲しい人間関係はこんなんじゃない。もっと素直に、お互いの心の内を明かし合うようなものだ」という想いが一瞬よぎっていたような気がする。

だけど、僕はこんなふうに「おバカなキャラ」を演じるしか、彼らを喜ばせることができない、つまり彼らから好かれることができないと思っていた。

手ごたえのない人間関係

ここで彼らの特徴を話そうと思う。

彼らは、「普通」から外れた変な行動をすることを極端に恥ずかしがった。

空気を読むことが「ちゃんとした人間」の証で、それができない人を白い目で見るような人たちだった。

そんな自己が空洞化した人たちだったので、自分の弱さと向き合う勇気が持てずに、それゆえに他者と本質的なコミュニケーションをとる術を知らなかった。

と、僕は推測する。

自尊心が回復したいまの僕が、もっとも嫌う種類の人間だった。

だけど当時の僕には、そんなふうに彼らの弱さを見抜く力はなく、彼らとは近寄りもできず離れもできず、ただ惰性で付き合っていた。

僕も僕で、人とのコミュニケーションの取り方がわからない人間だった。そういう意味では似たもの同士だったのかもしれない。

内面を打ち明けた

彼らは、少なくとも僕に対しては、内面を打ち明けるのが苦手だった。

(それは僕もそうだった)

彼らが本心や、自分の本質を伝えようとするときは、まず真剣にストレートに伝えることはない。

冗談のように笑いながら、伝えたいことの半分にも満たないものを、人に飛ばす。そして「わかるだろ」と理解を相手にゆだねる。

そして、相手に理解を期待している自分を隠す。「相手に自分のことがわかってほしい」という欲求が自分にあることに自分が気が付かないほど、うまく隠す。

彼らのコミュニケーションはそんな感じだった。

だからピエロを演じてきた僕でも、さすがに「誠実さや正直さ、真心や本質や愛」に飢えていた。もうこんなまどろっこしいやりとりは嫌だと思った。

だからある日、ビッグボーイというファミレスにみんなで行ったときに、自分の内面を打ち明けた。

人生のつらさや不安、人と真に関わりたいという気持ちを話した。

その流れで、自分には精神の病気にかかっていることも伝えた。

すると、みんなうつむき、静まり返った。

みんな何も言わずにうつむいていた。わかっていた、彼らが何を思っているかは。

そして、その中の一人が顔を上げ言った。

「重い」

その一言の後に、誰かが「話題を切り替えよう!」と明るく言った。

話題が全く関係のない話に切り替わり、僕の発言はなかったことになった。

そのあとの記憶はほとんどない。だけど、僕は呆然とした気持ちで席に座っていたと思う。

別れ、そして再開

そのファミレスのことがあったあとの記憶は、ほとんどない。

というのも、ちょうどその頃に精神の病気で大学を中退したからだ。

それから数年は働けずに、引きこもって生活をしていた。

そしてファミレスの出来事から5年ほど経ったころ、その人たちから「遊ばない?」と連絡が来た。

その頃の僕に友達はいたけど、相変わらず寂しい日々を送っていたので、遊ぶことにした。

実際に会ってみると、彼らは前よりも少し大人びていた。だけど本質はあまり変わらなかった。中身のないやり取りで、一緒にいればいるほど孤独な気持ちになった。

そしてあるとき、彼らの中の一人から連絡が来た。

その彼から「実は、僕ゲイなんよ」とカミングアウトされた。

というのも、昔ファミレスで精神疾患があることを彼らにカミングアウトするいくつか前に、僕は自分がゲイであることもカミングアウトしていた。(そのときもみんな、気まずい表情で黙りこくっていた。味方をしてくれた人はいなかった)

だから、「そうか、大変だな」と思い、話を聞くことにした。そしてその彼と二人で遊びに出かけることになった。

出かけた先で彼は言った。

「今度、(女性と)結婚することになったんよ。男性といると心は満たされるけど、周りの目が気になってしまう。女性といると心は満たされないけど、周りから認められる」

「今日はありがとう。ゲイであることを隠していたから、誰ともこんな話ができなくて。すごく救われたよ」

僕は自分の人生を生きる

またしばらくして、ゲイであることがわかった彼から結婚式に招待された。

この間、彼の話を聞いてからずっと考えていたことがある。

僕がゲイだとカミングアウトしたときは、異性愛者のフリをして「えぇ、気持ち悪るぅ」と言いたげな表情をしていたくせに。僕が精神疾患があると打ち明けたときは、みんなと一緒に黙りこくってうつむいていたくせに。

でもいまは、あの頃よりも大人になって、前よりも僕に心を開いてくれている。

でも、

嫌だ。

「僕は自分がゲイだからといって、それを恥じるような生き方はしたくない。だから君の結婚式に出席したとして、どんな顔で祝えばいい?それは僕の生き方に反する。だから、出ない。ただ、結婚自体はおめでとう」

とメールを返した。

すると「そうだよね。結婚をおめでとうといってくれて、ありがとう」と返ってきた。

複雑な気持ちになったけど、それ以降は彼とも、他の二人とも縁を切った。

あんな人間関係、本当は大っ嫌いだったんだ。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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