【うつ病】フルタイムができないので週3日勤務にした話

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僕は19歳のころ「躁うつ病」を発症しました。

病気が良くなったあとも「精神的に疲れやすい」という状態は完全には改善されず、だけどそれを受け入れられず、抗うように「普通の人のようにフルタイムの勤務をする」ことを目標に生きていました。

目標の「フルタイム」で働けていた時期も一年ほどありました。

だけど結局、身体を壊して、週3日勤務で働かざるを得ない自分の状態をつきつけられました。

そして、週3日勤務の生活が始まってしばらくしたあと「週3日勤務でも生きていける」「むしろ週3日勤務は理想のスタイルだ」ということに気付き、人生を楽しんでいます。

もくじ

週5日勤務の景色

時間の余裕は心の余裕

週5日で働いていたころは「心に余裕がなかった」と、いま振り返れば思います。

職場まで原付で走っている途中、もたもたしている車のせいで思うように進めないと「イラッ」、横断歩道をゆっくり歩いている歩行者に「イラッ」、そして心の余裕がなくそんな情けない反応しかできない自分に「無意識でイラッ」としていました。

スーパーで買い物をしているとき、買い物客をただの不快な障害物のようにしか思っていませんでした。

そして、その「不快な障害物」にたまたま道をふさがれたら「イラッ」です。レジの人に対しても「全部ロボットがやってくれたらいいのに」と思っていました。

人の行動を注意深く観察して、その背景を考えられるような心の余裕はゼロでした。すべての人に個性を感じられず、全員「人間」という名前の、同じ顔で同じ心のロボットがいるという、無味無臭の世界でした。

無意識にですが、「そんな自分を好きになれない」とうっすら思っていました。

例えは他にもまだまだありますが、仕事で疲れているのにリフレッシュする時間のなかった僕は、こんな人間になっていました。

お金を稼いでも…

週5日で働くことの唯一のメリットはその給料の高さでした。

毎月、給与明細をみては大喜びしていました。

ですが、しばらくして気づきました。貯金の口座残高はずっと平行線でした。

考えてみれば「週5日勤務でお金はたっぷりあるんだから」と、仕事で疲れて家に帰った日は、晩御飯をUberEATSで頼んだり、スーパーでお弁当を買ってきたり、外食をしたりしていました。

お金はたっぷりあるから、自動販売機で使う150円なんて「大したことない」、安売りしていたショルダーバックの2000円なんて「はした金」だと、お金の感覚がルーズになっていました。

なにより仕事のストレスを発散するために、衝動買いで不必要なものをたくさん買っていました。

週3日勤務の景色

時間の余裕は思考の余裕

週3日で働くようになると、休みが増えて、頭のなかにゆとりができました。

もたもたしている車の「中にいる人」まで見えるようになりました。なにか嫌なことをされても「何故そういうことをするんだろう」と、その理由を考えられるような余裕がありました。

もたもたする車がいようが、渋滞に巻き込まれようが、週3日勤務で十分な休息をとれている僕は、時間に余裕をもって家を出ることができます。

「時間はいくらでもある、好きなだけ渋滞するがいい」と大らかな気持ちでいられます。

十分な睡眠や休息をとれているので、そもそも、無条件に「イラッ」とすることが激減しました。

時間の余裕は体調の余裕

休みがたくさんあるので、体調はいつも好調です。

仕事で疲れて家に帰ったあとも、それでも「晩御飯を家でつくる」体力的な余裕があります。なので外食は一切していません。

さらに「今日は、今まで作ったことのない料理に挑戦してみようかな」という余裕まで生まれるときもあります。そして、料理のレパートリーが増えていきます。

それが人生の楽しみのひとつになります。

料理をするときの食材や調味料の匂い、鍋を熱したときの温かさや水蒸気、野菜を切るときの包丁さばき、お皿に料理を並べるときの視覚的な美的センス、そして食器洗いをするときの水の冷たさや、お皿がきれいになった時の気持ちよさ。

五感を刺激すると心が元気になります。みずみずしい感性が蘇ってきます。

時間の余裕はお金の余裕

フルタイムで働いていた頃より、週3日のいまの方が貯金ができています。

自炊をすることでお金の節約になることは述べました。

週3日勤務でもらえる給与明細を見ると、金額が少ないので、これで大丈夫なんだろうかと不安になり、気分がキリっとしてきます

なので、惰性でお金を使うことがなくなります。

「まぁ、いいか」でジュースを買うことも、「もう、いいや」で衝動買いをすることもなくなります。

最低限の収入しかないので、不必要なものを買わなくなります。

「なにが必要で、なにが不必要なのか」を見極める力がつきます。本当に必要なものだけで生きていくと、頭がスッキリします。

そして、心に余裕があれば、節約生活を楽しむことすらできるようになります。

「今月は〇〇円しか使わなかった!」「今日は自動販売機でジュースを買いたくなったけど、我慢して買わずに家まで帰った。150円得した気分!」と、節約という名のゲームで自己満足を味わえるようになります。

すると、他にも工夫して出費を削れるところはないかな、と頭を使うようになります。

いままで疑うことなく、当たり前にやっていた生活の一つ一つに改善の余地はないか考えます。

自分の人生を自分でコントロールしている感覚です

時間の余裕は時間の余裕

最後になります。

時間に余裕があるということは、その空いた時間を自分の「好きなこと」に使えるということです。

僕は「登山」が好きなので、休みのたびに山に行っています。

好きなことをすると心が元気になります。そして、好きなことがたくさんできると、ますます元気になります。

ちなみに、登山は基本的に晴れの日にするのですが、フルタイム勤務の人のように週末二日間しか休みがないので、「二日とも雨だった場合、登山ができない」なんてなることが、週3日だとまずありません。

疲れているなと思えば、休みの日に一日中休むことができるので、毎週安定した体調でいられます。

時間に余裕があれば、なにかしら行動することができます。

色々な物事に出会いやすくなります。そして、そこから新しい興味や出会いが見つかるかもしれません。

おわりに

どうでしたか。

ひとりひとり生活環境や状況が違うので、ここで紹介したことをそのまま勧められるわけではありませんが、これが僕の見つけたスタイルです。

なぜか、週5日勤務が世の中では当たり前に設定されていますが、それについていけない人も多いと思います。

給料が少なかったり、車が持てなかったり、広い部屋に住めなかったりと、いろいろ条件付きではありますが、こんな生き方もありますよ。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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