いまの僕はどん底にはいない。
ただ、20歳のころは人生のどん底にいた。
いまの僕はどん底にはいないけど、ストレスで体調を崩すことが増えた。そんなときに、雨の中を散歩していると、どん底だったときの気持ちが少しだけ思い出せた。
雨の中の散歩で見える、濡れたアスファルトや、ガタガタになった地面、ガードレールのサビや川辺の植物たち。夜になると、車のヘッドライトが水たまりに反射して、地面が鈍く光る。その光を見ていると、吸い込まれそうになる。
そうやって、自分の肌の細胞一つ一つを開いて、この身体全身で、外の世界を感じる気持ちよさみたいなものを、思い出した。
どん底とは地に足がつくということでもある。
そのときに、いままで社会での常識や世間体や見栄や、いろんなものに縛られていた自分を解放できる。どん底なんだから、そんなものを気にしなかったからって、それで被る不利益なんて、ないに等しいからだ。
ずっと入れていた肩の力が抜けて、「諦め」という境地にいたる。
ところで、「諦める」という言葉は、仏教用語で「明らかにする」という意味らしい。
どん底につくと、常識や世間体にから開放されて、周りのものが明らかに見えるんじゃないか。そして、自分のことも明らかに見えるんじゃないか。
そして本能レベルで、自分という存在が自然とつながっているような心地よさを感じるし、鈍った感性の回復も感じられるような気がする。
いま、ここに書いていることは、昔の自分のおぼろげな記憶を元に話している。
もちろん、どん底にいるその時は、苦しみの渦に飲み込まれているので、そんなことを感じる余裕はない。
ただ、どん底から這い上がって、10年くらい経つと、「あの苦しみの中にも、一つだけ心地よさがあったな」と思えるような気がするのだ。

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