やりたいことを見つけるためにやった「6つの些細な事」

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前に書いた記事のなかで、「どんなに些細ささいなことでも、意味のないようなことでも、恥ずかしいことでも、少しでも興味を持ったことにトライし続けると、自分は何がしたいのか分かるようになる」んじゃないかと、紹介しました。

今回は、僕が実際にやった「些細なこと」を具体的に紹介します。

もくじ

些細なこと6選

人から紹介されて「いつか行ってみます」といいながら、行っていない場所にいってみた

牧野植物園

職場の人から、友人から「このランチ美味しいよ!」「この美術館、めちゃくちゃユニーク!」「最近、こういう施設ができたよ!」という情報をたくさん聞いても、「いいですねぇ!」「その内いってみたいなぁ」と言いながら行っていない場所が山ほどありました。

  • 職場の後輩に薦めてもらったうどん屋さんの「松製麺所
  • 友人の彼女から、高知に行ったら是非行った方がいいと薦められた「牧野植物園
  • 階段が多いことで有名。昔からその存在は知っていたけど、今行かなきゃ一生行かなくなりそうだった「金毘羅こんぴらさん
  • TVで紹介されていた、1杯1000円もするかき氷屋さん「登泉堂とうせんどう

などなど、いろんな場所に実際に行ってきました。

これらの場所に行く前は、「行きたいところに行ったところで、別になにも変わらんでしょ~。行った場所の数がただ増えるだけじゃないの?」と思っていました。

だけど実際に行ってみると、「あぁ、ここがあの〇〇か」とちょっぴり達成感を感じます。ちょっぴり心が潤う感じです。

そして、その行動を続けていると、「今度は〇〇に行ってみたいな」「今度はあんなことやってみたいな」と発想が広がっていきました。

発想が広がる。これが、行動の力だと思います。

少しだけ海に行きたい気分になったので、わざわざ往復一時間半かけて行った

夜の19時に急に、海に行きたくなりました。

でも、翌日に仕事を控えています。僕は、夜は家でゆっくり過ごしたいタイプなので普段は外出しません。だけどこのときは、わざわざ行ってきました。

一時間半かけて行って、海にいたのは、たったの20分でした。

なんとなく、目的に対してかけるコストが「釣り合わない」感じがするのだけど、そう思いながらも、思い切って行ってみました。

この「釣り合わない」という感覚は、コストパフォーマンスと言い換えることができると思います。僕だけでなく多くの人が、このコスパ感覚に支配されているんじゃないでしょうか。

実際に、海に行って思ったことは「行ってよかった!なんだかわからないけど、心が生き生きする!」でした。

人間は機械じゃありません。

効率も大事だけど、効率で人間の型を取ったときに、どうしてもはみ出る人間らしさのようなものがあって、それが刺激されたときに、自分でも気付いていなかった自分の人間としての側面に気付き、説明しがたい豊かさを感じられたような気がします。

尿瓶で排尿をした

僕は、福祉の仕事をしています。

仕事柄、尿瓶をよく使うのですが、尿瓶で排尿をするとどんな感じなのだろうかと、いつも気になっていました。気になっていたけど、普通はやらないよなぁと思い、やっていませんでした。

だけど、思いきってドラッグストアで尿瓶を買いました。

不謹慎な話かもしれませんが、実際に試したあと、「こんな感じなんだ!」と好奇心が満たされて、心が生き生きしてきました。

八百屋さんで野菜を買った

僕はもともと、スーパーやコンビニなど、人とコミュニケーションをとらないといけないところに行くのが苦手でした。そして、地元の八百屋さんとなると、さらに敷居が高く感じていました。

だけど、八百屋さんは安く新鮮な野菜が置いてあるので、活用できるようになると、もっと豊かな生活ができるだろうなと思っていました。そして「どんな場所なんだろう」と少し興味もありました。

「表情の厳しいお年寄りがたくさんいるのかな」とか「八百屋さんの中の人はみんな知り合いでワイワイしていて、僕には場違いかな」とか、偏見がたくさんありましたが、実際に行ってみるとなんてことはなく、普通でした。

レジを通過し、袋に詰め、店を出た後は、達成感に包まれました。

小さいころに住んでいた団地を訪ねた

僕は、小学3年生のころまで、ある団地に住んでいました。

だけどその後、引っ越しで転校します。転校して中学生になった後も、高校生になった後も、車でその団地の前を通り過ぎるたびに、懐かしさで泣いていました。その団地が大好きでした。

なので、その団地に行ってみようと閃きました。

実際に行ってみると、子供の頃に染み付いた景色の記憶がきれいによみがえりました。「この公園で、夜暗くなるまでブランコを漕いでいたなぁ」「この青いペンキで汚れたカエルの像は、当時のままだなぁ」「ここは、当時のいじめっ子が住んでいた棟だなぁ、ははは」。

ゆっくり歩きながら、昔を思い出していました。なにも変っていないけど、唯一変わっていたのは団地の中のモノの大きさでした。

「昔と違って、自分はもう大きくなったんだなぁ」

そう思い、団地を後にしました。

大人の本屋に入った

僕は、夜の街とか、俗的な雰囲気が苦手で、大人の本屋にも入ったことがありませんでした。

でも、どんな場所なんだろうと興味は少しありました。

人生で初めてのことをしようとすると、何かとお金がかかります。だけど、大人の本屋には無料で入れて、そして独特の体験ができます。

店内に入ると、こもった空気にすこし「ウッ」となりましたが、なんというか解放感を感じました。

一般社会では性的なことを表に出すのはNGですが、ここでは気にしなくて構いません。そして、店内にいる人たちは、当たり前ですが、性的なものに寛容なので、なおさら何にも気にしなくていいという気楽さがありました。

そして、店内にいる人を観察するのも好きでした(ジロジロ見るわけではなく、こっそり見ます)。

表の社会では、人はいろんなものを抑えながら生きていますが、店内にいる人は、その抑えているものを一つ開放している人たちなので、そういう人を見ているとなんとなくホッとします。

この感覚を例えるなら、温泉です。

街を歩くときに、威圧感のある柄の服を着たり、靴をはいたり、アクセサリーをつけたりする人を、たまに見かけます。

すれ違う時に、怖くてドキドキします。

そうやって鎧をつけた人がたくさんいますが、温泉ではみんな裸です。

街では、すれ違う時に怖くてドキドキすることがありますが、温泉ではそれがないのです。 温泉で、服を全部脱いだ後の、「もう鎧がない。仕方ない」とあきらめた感じ。潔いさぎよくなった感じ。それが、大人の本屋さんの中にいる人に、僕が勝手に感じた雰囲気でした。

おわりに

とにかく、どんなことでもやったほうがいいと思います。

意味があるとか、ないとか、そんなことは考えないほうがいいです。考えてしまうけど、それでも考えないようにすることです。些細なことで、つまらないことで、いいんです

とにかく、自分の好奇心や興味の赴くままに行動する。これは、社会で生きている我々にとっては意外と難しいことなのですが、全力で些細なことにチャレンジすることをおすすめします。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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