はじめに自分の過去の話をさせてください。
僕は、躁うつ病の母のもとで育ちました。父は、自分以外に関心がない人で、母の病気に対しても理解がなく、家のなかはいつも荒れていました。
母が自殺しようとする姿を見たし、母が僕と心中しようとすることもありました。
そして僕は同性愛者で、そんな受け入れがたい事実に向き合わざるを得ない状況でした。
さらに僕はコミュニケーションに難があったので、大げさではなく友達が一人もいませんでした。

高校を卒業するまでは、そんな自分の状況をグッとこらえて生活していましたが、高校を卒業して大学に入ってから、グッと我慢していた緊張が一気にはじけて、僕は反抗的で不真面目で、世の中を恨むような人間に変わりました。
そのときは、精神疾患を発症したばかりのころで、薬の副作用による眠気がひどく、朝の授業に毎回遅刻していました。
ただ、「薬の副作用だから仕方がないし」「自分ではどうすることもできない」「でも、周りはわかってくれない」「そもそも、薬を飲まないといけなくなった原因の家庭環境や、自分がゲイであることは、自分のせいなのか?」といつも不満がたまっていて、反抗的になっていました。
なので、遅刻しても、堂々と教室内を歩き、一番前の席のど真ん中、教授の前の席に座って「喧嘩を売って」いました。
誰も信用しておらず、全員敵だと思って生活していました。
自分の傷つきすぎた自尊心を守るために、周りの人間を全員、見下していました。
誰からも好かれようと思いませんでした。むしろ「こんな自分のことは嫌ってくれ」と、わざと人に嫌われるような行動や言動を繰り返していました。
いまの自分や、大学生活の前の自分は、「人に好かれたい」という気持ちがむしろ強すぎるくらいの人間だったのですが、このときの自分は「人に好かれよう」とする気持ちが一切ありませんでした。
だから友達なんかいらないと思っていたし、いつも心の中で炎が燃えたぎっていました。
そして色んな人に嫌われたし、馬鹿にされていました。
そんなある日、ある一人の学生が僕に声をかけてくれました。
彼女は、「俳句の授業」で僕と隣同士になった人でした。
僕は、俳句の授業に限らず、授業にのぞむときはいつも、ボールペン一本だけしか用意しませんでした。バッグや教科書や、その他もろもろは持っていかずに、ポケットにいつも一本のボールペンをいれて大学生活をしていました。
彼女は僕に「いつも授業が始まると、椅子に座り、ポケットの中からボールペンだけを出す君を見て、なんておもしろい人なんだと思った」と伝えてくれました。
そして彼女は、僕と遊んでくれるようになりました。
「人に好かれなくてもいい」と思っていた僕の心が少し揺れ動きました。「嬉しい」という気持ちと、「何故こんな僕なんかと遊びたいんだ」という気持ち、そして「どうせ僕の全てがわかったら、この人も僕を嫌いになるに決まっている」という屈折した気持ちが生まれました。
この三つの気持ちはどれも、「人とつながりたい」という切実な気持ちから来ていると今の自分なら理解できますが、当時はそれが「嫌悪感」として現れました。
彼女には自分がゲイであることや、自分の内面の話はしていなかったので「言えばどうせ拒否される、嫌われる」と思い、「もしかしたら、それでも好いてくれるかもしれないという、わずかな期待を持ち続ける」ことが、とてつもなく恐ろしくて、僕は彼女を突き放しました。
そして、彼女に嫌われるような言動をとりつづけ、嫌われました。
健康になったいまの自分が振り返ると「自分の内面をさらけだして」「素直に、人に好かれて嬉しいという気持ちを出せたらよかったのにな」とも思いますが、当時の僕にはそれは不可能なことでした。
そしてこの記事の趣旨が変わってきているので、話を戻しますが、人生のなかで一番酷くて最低な人間だった僕でも、それが「おもしろい」と思って近寄ってくれる人がいました。
(この記事では自分の酷さがあまり表現できていません。というのも当時の記憶があまりないからです)
だから新しい環境に身を置く人や、厳しい状況の中にある人にとって、嫌ってくる人や厳しいことはあるけど、「希望もあるんじゃないか」ということを伝えたいです。

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