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【石鎚山系ロングトレイル ♯2】孤独と向き合った6泊7日の山旅日記

もくじ

5日目

早朝6時半、歩き始める。

三日目の雨以来、靴も靴下もずっと毎日びしょびしょ。少しだけ、家に帰りたくなってきた。街にも降りたい。坂は厳しいし、危険な道もある。

この旅が終わったら、登山は一旦休んで、街の歩き旅や自転車旅やジョギング旅をしようと思った。でも、それよりもなによりも、パートナーに無事に会いたい。

ふと、エティエンがやっていたように、一歩一歩丁寧にゆっくり歩くのを真似したら、心が落ち着いてきて、少し晴れやかな気分になれた。気持ちがだいぶ焦っていたのが分かる。心と身体はやはり連動するようだ。

しばらく歩いているとあることに気がついた。水が減っていない。

そういえば、エティエンに、山に登る時はいつも何リッター持ち運ぶか聞いた時に、1.5リッターといっていて驚いた。僕はすぐ喉が渇くので、3リッターは持ち運んでいる。そして、体質の問題かなと考えていた。

でもそれは「歩く速さが速すぎる、というか息を切らせて急ぎすぎている」からだということに気がついた。

この発見のおかげで、あまり水を持ち運ばなくてすむ。つまり、軽い荷物で軽快に動けるので、より長い距離を歩くことができる。希望が湧いた。

ゴールまでいけるかもしれない。

ちなみに、今日は誰とも会っていない。この旅ですれ違ったのはここまで、たったの五人。

いつか、四国八十八ケ所のお遍路旅をしたいなと思った。

僕は人に会うのが苦手で、怖いので「世の中には、あなたが思うよりも、良い人がはるかにたくさんいる」という「事実」を理解するために、お遍路をしていろんな人とやりとりをしたら実感できるんじゃないかと思った。

途中、きれいな泥があって少し興奮した。

「子供の頃のような心に少し戻っているな」と嬉しかった。やはり、山歩きをし続けると、そういう感性が戻ってくるのだろうか。

そして、寒風山かんぷうざんに登る。

ものすごく、しんどい山だった。初日にバスの中で話したおじちゃんが「寒風山の登りはきつかった」と言っていたのを思い出していた。

心細さが、最大になってきた。

日常の景色が浮かんでくる。

家の中の景色、どこかの記憶の断片、例えば、特に好きでもなかった親戚の家の近くの光景や、なんの思い入れもない中学校時代の遠足の光景が浮かぶ。でも危険な箇所が続くので考えていたら危ない。無理やり振り切り、歩くことに集中した。

17時、テント場に到着。

丸山荘のテント場

しかしテント場の水道から水が出ない。焦ったけど、更に30分、沢まで歩いて水をゲットした。

今日は体力的にかなり疲れたし、気持ち的にも少し疲れていた。

テントに入ったあと、自分の挑戦を知っている友人から応援のLINEが来ていた。ものすごく気分が明るく、前向きになった。

やっぱり、人には支えが必要なんだなと実感した。「人間」という漢字の意味を説く先生の、言っていたことが分かってきた。

6日目

前日3時間しか寝ていなかったこと、かなり疲れていたことが相まって、爆睡した。8時間も深く眠れた。

テント泊でこんなに熟睡できたのは初めだったので、嬉しかった。

水ぶくれが小指に一つできていたけど、こんなもの気合いでどうにでもなる。雷とは訳が違う。幸せだった。

笹原に入る。

マムシを踏んでも大丈夫なようにレインウェアのズボンをはく。ズボンに乾いた泥がついて、更に防御力がアップしている。よし!

でも、脚が蒸し暑くて、気持ち悪い。

途中で、おばちゃんとおじちゃんに出会い、いろいろと話した。

12日間、四国山地を歩くことも伝えた。おじちゃんはマイペースに話しかけてくれて、おばちゃんは「先が長いんやけん、あんまり話して時間とられん!」と言った感じを、おじちゃんに伝えていたが、伝わってない様子だった。僕もフレンドリーな人と話せて嬉しかったので、「いいですよ!」とおばちゃんにジェスチャーをした。

最後に二人から「がんばって!」と、エールをもらった。

山深いところを歩いて心細くなっているときに、地上に道路を見つけた。ものすごくホッとした。

今日は12時の段階で、すでに五人とすれ違っている。

「多いなぁ」と思ったら、今日は土曜日だった。忘れていた。曜日を意識しないというのは、斬新だった。「そうか、いままで曜日を意識しながら、生きてきたんだな」と思った。

遠くにダムが見える。同じような景色の中に、目立つものがあると、ホッとする。

山が霧がかってきて、空が灰色になった。心細い。

そして、ここから未知の山域に突入。

ここから先は、全く歩いたことのない場所。不安と興奮の両方の気持ちで突入した。第一印象は、好みの山だった。これはいけそう。希望が湧いてきた。

歩きながら考えていたけど、記憶って大事だなと思った。

ネガティブな記憶は、時として力になる。ポジティブな記憶は力になる。なんでもない記憶は、自分を客観的に見せてくれて、それが力に変わる。

記憶があるから、強くいられる。

歩きやすい道かと思ったら、そのあと、とんでもない急登が待ち構えていた。

ここまで6日間、どの一日もたやすくはない(3日目は自分のせい)。せめて一日だけでもイージーな日があったらいいな。

そう思っていると、「ブーン」という重厚感のある蜂のような羽音が一瞬、聞こえた。

一瞬だけなのに、そこから気持ちが一気に後ろ向きになった。蜂の音が引き金となり、曇り空、冷たい風、人気ひとけのなさ、急登、すべてが合わさって、恐ろしいくらいの心細さにおちいった。

後ろ向きだと、見える景色が全然違う。いまは、楽しさよりも、はるかに不安がまさっている。

家に帰りたいという思いが、この旅で初めて頭をよぎった。

細い木の枝を蛇と勘違いして、声が出た。
雨予報ではないのに、雷が鳴った。
太い枝を大蛇と勘違いして、普段の自分ならあり得ないほど大声を出して、身をかわした。

この細い木の枝が蛇に見えた

この精神状態で山を歩くのは危険だと思った。

今日の目的地なんかよりも、すぐにでもテントを張れる場所を見つけるべきだと思った。そして見つけた。

今日から歩き始めた山域は人気ひとけのない山だと知っていた。僕は、山を歩く時に人の気配がしたら毎回ドキドキして自然体でいられなくなるから、人気の石鎚山系を出て、この山域を歩くのを楽しみにしていた。

だけど、毎回山で時間を過ごすたびに気付かされるけど、人と関わることが苦手で怖くても「それ以上に圧倒的に人に助けられていたんだ」ということに、また改めて気付かされた。

苦手で怖いけど、行き着くべき場所は人だと思った。やっぱり人の中へ向かう方向じゃないと希望が見えない。「これからは人の中で生きていきたい」と強く思った。

心細くて、たまらなかった。

もう完走なんかしなくていい。生きて帰りたい。途中で降りよう。そんなのどうでもいい。

そう思ったときに、遠くのどこかの村の夕方5時のチャイムが鳴った。ものすごく心が温かくなった。人らしきものと一瞬でもつながれた幸せで涙が出てきた。

映画でみる「宇宙船に一人取り残された人が、地球の人間の声を一瞬、無線で聴けたときの気持ち」と同じ種類なんだと思う。

ここまで、よくがんばった。

テントの中に入ると、少し落ち着いた。荷物をずらーっと並べて自分の部屋を作ると、リラックスできた。

明日、帰ろう。

7日目

夜中に、雨の音で目が覚めた。

そのまま寝付けず、睡眠時間は4時間だった。

だけど、今日が最後の一日。今日振り絞ればいい。睡眠時間は一日だけなら、そんなに関係ない。という強い気持ちでいかないと、怖い。

昨日、山を降りると決めた瞬間から、今まで張り詰めていた気持ちがプシューと抜けていくのをハッキリと感じていた。

夜中に目が覚めたときから、なぜだか全くわからないけど、涙がとまらなくなるときがある。

朝出発してからも、ふいに涙が出てきて抑えられなくなるときがある。ものすごく強い感情がわいて、涙がドバッと出る。理由はわからない。

そして、下山中に思ったことがある。

「グレートトラバース」という番組で日本百名山一筆書きをしている人が、すごいなと思っていた。

自分も「すごい」人になりたいと思っていた。では、百名山どころか、四国山地の一部しか歩けず、しかも目標を完遂できなかった、自分はすごくないのか?

当たり前のことだけど、登山を始めたばかりの二年前の自分は、いま自分がやっていることができるだなんて全く、微塵も、つゆ程も思わなかった。もし誰かに「このルート、いつかやってみたら?」って言われたら「無理無理無理、絶対に無理。僕にできるわけないやん。なにいってんの(笑)」っていうに決まっている。

当たり前のことにようやく、気付いた。今の自分のベストを尽くすことが、一番「すごい」ことだ。

この旅の最終目的地であるJRの駅に行くには、今いる山を降りたあと、もう一つ山を越えないといけない。

ここまで歩いてこれた自信をたずさえて歩く。

天空の道しるべ

まずは、さっきいた山を降りることができた。

そして、しばらく舗装路を歩く。

久しぶりの舗装路に出た時の解放感が気持ちよかった。そして、車が横切ったとき、ものすごく嬉しい気持ちになった。可笑おかしかった。

そしてついに、最後の山が目の前に見えた。

だけど、休憩を入れようとザックを下ろした時に、衝撃的なことに気がついた。

ザックの肩ひもが半分くらい破れている。

これ以上破れると、肩ひもが一本になってしまう。めちゃくちゃ恐ろしい状況にハラハラしながら、肩ひもに負担をかけないように、自分なりの工夫をしながら歩いた。

気が抜けてしまっているせいか、明らかに身体に力が入らないのを感じた。

「昨日まではガンガン登っていたのに」「この山はそこまで高くないのに…」かなりの気合を入れ続けなければならなかった。

これが最後の登り

最後の山を降りて、コンクリートの地面に立ったとき、ひとまずホッとできた。

その後も長い舗装路を歩いた。今まで気が付かなかったけど、身体がヘロヘロで、脚が痛くて、足の裏に水膨れがたくさんできているのを痛みで感じた。

山深い舗装路を歩いていると、遠くから猿の鳴き声が聞こえた。こっちを向いて鳴いていた。

途中にあった大きな岩を「すごい、大きいなぁ!」と見上げると、大きなスズメバチの巣があって、頑張って走った。

最後の最後に、また何かドラマが来るのかと思った。「もういいよ。このままゴールしたい」ヘロヘロの状態で、思った。

結局、ドラマは起こらず、ザックの紐も大丈夫だった。

山を歩くのは大変だったけど、下界は下界で「歩くときに周りに人がいると、前を向いて歩けない怖がりな自分」にまた出会った。

まあ、いいや。

自分を発揮できる時間のときもあれば、自分の時間でないときもある。家の中で人生を楽しんで、ときどき外でも楽しめたら十分だと、少し思えた。

石鎚山系ロングトレイル / りゅーやんさんの青滝山子持権現山笹ヶ峰の活動データ | YAMAP / ヤマップ
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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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