「人生なんとかなる」という感覚をわかりにくく説明します

僕はいま35歳です。

そんなにたくさんのことを経験してきたわけでもないし、「人生なんとかなる」という感覚は持っていませんでした。だけど、ニュージーランドで2カ月半の歩き旅をしたことで、その感覚がすこし掴めました。

ニュージーランドでの歩き旅ではいろんなことがありました。

二カ月半の短い期間のなかで、アクシデントがあってはなんとかなり、不安なことがあっては杞憂に終わり、という経験を何度もくり返すうちに「まぁ、あんまり心配しなくても大丈夫だな。今も心配なことがあるけど、今回も、なんとかなるだろう」と思えるようになりました。

そして「人生なんとかなる」という感覚を得ることができました。

今回は、その感覚をイメージで表現してみようと思います。

まず生きていたら、トラブルやアクシデントに遭遇しますよね。

そして、それが解決したあとは、しばらく平穏な日々が続きますが、またトラブルやアクシデントが起きて、不安や心配な気持ちに悩まされます。人生はそれの繰り返しではないでしょうか。

ちなみに歩き旅に出る前の僕は、そのトラブルやアクシデントが四方八方から来るというイメージをもっていました。

四方八方から来るので、どこから来るのかわからずに、不意打ちされるような不安がいつも人生につきまとっていました。

そして、そのこと自体が一つの不安だったんです。

訳がわからない説明かもしれませんが、もう少し噛み砕いていうと、この世界にはトラブルになりうる要素が360度あちらこちらに散らばっていて、そのどれがいつトラブルとして発動するかわからない、という不安がありました。

例えるなら、サムライが夜眠るときに、360度何にも囲まれていない場所で眠ると、いつどの角度から敵に襲われるかわからなくて不安になりやすいけど、右と後ろが壁になっていれば、前と左だけ気をつけたらいいと不安が減るような感覚です。

(ちなみに、壁があることで逃げ道がなくなってしまって、逆に不安になるという考えはここでは無視します)

ですが、歩き旅で「人生なんとかなる」という感覚を得たあとは、不安やトラブルは自分の家の前に並んでいる行列のようなものだとイメージするようになりました。

これは言い換えると、「トラブルやアクシデントはどう対策しようが、来るときは来る。だから過剰に心配せずに、どんと構えておけばいい」ということになります。

イメージとしては、360度辺りに散らばっていたトラブルの素がみんな集まって、自分の前に一列になって並び、そして一定期間が経過すると、そのトラブルの素が一つずつ自分の家のインターホンを押すという感じです。

だから、僕は不安な気持ちになると、トラブルはあちらこちらに散らばっているのではなく、僕の家の前に一列に並んでいて、時がきたら、インターホンが鳴らさせるというイメージを想像します。

そうすると何故か、不安が少し減って、「大丈夫かな」と思えるようになるんです。

このイメージをさらに言い換えると、「トラブルやアクシデントは偶然ではなく、人生における必然だと捉えている」ということになるのかもしれません。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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