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【フィリピン旅行記 ♯7】フィリピンの土地で緊張している白人男性二人をみて「あぁ、誰だって海外にいたら緊張するんだな」と理解できた

もくじ

フィリピンの山に向かう途中にあった銅像

「見て、朝日がきれいだよ」

ソーマが部屋のカーテンを開ける。僕は眠たかったので、布団を頭に被ってそのまま寝た。

ソーマがあとで写真をくれた

一階のレストランに降りて、ビュッフェの朝食を食べる。

アルコールランプ

フィリピンも、すでに7日目。

初日と2日目は、あんなに時間が経つのが遅くて、長い一日だったのに、もう7日目です。

「あーあ」

ここにいられるのも、あと3日か…。

エマックの運転でホテルを出発する。

観光地で記念写真を撮っていると、二人組の子供が寄ってきた。

タガログ語でなにかいっているけど分からないので、英語で「ごめんね、タガログ語はわからないんだ」というと、うなずいて去っていった。

しばらくすると、他の観光客がその子供に写真を撮ってもらい、お金を渡していた。なるほど。写真を撮って生活費を稼いでいるんだなと、わかった。

観光地やマーケットを散策したあとは、山に向かう。

フィリピンでちょっとした登山をしてみたかったので、エマックにリクエストしていた。その道中、こんなものを見つけた。

この地域の昔ばなし。

「あるとき、海岸に大量の魚が打ちあげられていました。村の人たちは喜んで魚を取っていたそうです。ですが、それは津波の前兆であるということをある家族は知っていました。そして海岸にいる村人たちに、津波が来るから高台に避難した方がいいと伝えます。ですが、彼らは津波の存在を知らなかったため、そのまま魚を取り続けたそうです。家族は諦めて、この山を登り高所に避難しました。そして、津波から無事、逃れられたそうです。」

サニーさんは、ジェスチャーやポージングが上手い。

山に向かっていたけど、まさかの通行止めにあったので、目的地を滝に変更した。

滝には緊張している白人男性が二人いた

その途中、レストランでお昼ご飯のテイクアウトをする。

路上には花束を後ろ手に持って、恥ずかしそうにした男の子が何人かいた。「フィリピンのバレンタインデーでは、男の子が女の子に花をあげるんよ」とソーマが説明してくれた。「そうか、今日はバレンタインデーか」なんだか微笑ほほえましいなぁと、思いながらその光景を見ていた。

そして、滝に到着。

河原の小屋で、テイクアウトしたお昼ご飯と、本場のココナッツを食べる。

ストローで中の汁を吸い終わったあと、ココナッツをパッカーンと割り、中の身を食べる。天然のスポーツドリンクのような、不思議な味だった。

河原には白人男性が二人いた。

二人とも、アジアの土地ですごく緊張している様子だった。

僕は「欧米の人はいつも堂々としていて、あまり緊張しない」という勝手なイメージを持っていたので、「そりゃ、そうだよね。誰だって緊張するよね」とホッとした。

同じアジア人の僕でも、フィリピンで外を歩くときは緊張する。でもやっぱり、緊張したそぶりを見せるのはカッコ悪いので、がんばって緊張を隠していたんだけど「僕も、これからは堂々と緊張したらいい」と思えた。

エマック仕込みの泳ぎで川を泳いだあと、滝の下にいった。

ものすごい水圧で目が開けられなかったので、修行として使われる理由が一瞬で理解できた。

そのあとは、「精霊せいれいの住む木」に連れていってくれるということだったんだけど、サラさんが結婚指輪をホテルに忘れてきたことに気付いたので、ホテルまでまた戻った。そして、精霊の住む木はお預けになった。

そのまま家に向かう。

片道4時間かかるので、家に着くころには外は真っ暗になっていた。長旅が終わり「家」に帰ってホッとした気分。家といっても、僕の家ではないし、5日間しかいなかったのにホッとした。

そろそろ、フィリピン旅の終わりが見えてきている。

でも、とりあえず今日も楽しかったし、いい一日だった。みんなで少しおしゃべりをしたあと、寝室に向かった。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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