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【非日常で気付くこと】旅の学びや発見が新しい日常をつくる

フィリピン人のパートナーと日本を旅行してきました。

旅行は疲れますが、新しいことを経験していくなかでの発見や学びが多いので、大好きです。今回は個人的にどのようなことを旅のなかで思ったのか、五つ紹介します。

もくじ

エピソード

岐阜城

岐阜城に登ったときのことでした。

岐阜城は標高329mの山の上に建てられています。ロープウェイを使い、更にそこから頂上を目指して歩くのですが、途中でパートナーが「岐阜城はレプリカ?」と尋ねてきました。「うん、レプリカよ」と返すと、「こんなに高い山の上にあって、侵略不可能に思えるこの城が、なんで陥落したのかが少し気になる」と言われました。

「確かに…」と思い、人生で初めて歴史に興味が湧きました。
そして、その日の帰りの電車のなかでその理由を調べました。そして、日本史についての本を購入し、勉強を始めました。

行動によって、実際に歴史を肌で感じることで、興味が湧くこともあります。

甲府市

パートナーと旅をしていて、ずっと悩んでいたことがあります。

パートナーと外出をしていると「目立つ」ということです。
二人で外にいるときは一人でいるときに比べて、明らかに人の視線や注意をひきます。それは、しょうがないことだとわかっています。日本人だらけの中で、見た目の違う人がいたら、僕も「おっ」と少しびっくりします。急に背後から英語が聞こえてきたら「おっ」となります。

わかってはいるのですが、僕たちが英語を話し始めた瞬間にパッと振り向かれるときや、一人で外出しているときにすれ違う人の態度とは明らかに違う態度を、二人で歩いていると感じるとき、なんだか不安になってしまいます。

人がパッと振り向くときは、だいたい無表情です。人の無表情は怖いので、「ヤフーコメントで見られるような敵意を、こちらに対して持っていたりするのだろうか」と不安で、心細くなります

パートナーは、そういったことは特に気にしておらず「例えば、誰かが怖い表情でこちらを見ていたとしても、その人は単に今日の会社での嫌な出来事を思い出していて、視線の方向が単にこちらにあるだけかもしれないよ」と教えてくれます。

僕もそうだと思います。そう思いながらも一方で、不安を感じ、ある種の孤独を感じながら旅をしていました。

山梨県の甲府市に着いたとき、まず甲府駅の近くにある「甲府市藤村記念館」に二人で入ると、ものすごく感じのいいおばちゃんスタッフが僕たちに話しかけてくれました。その日は山梨も晴れていたので、僕の心細さが大分和らぎました。そして、二人で「純粋に観光を楽しむ」という当たり前の気持ちになれました。

そのあと、「甲府城跡」に向かいました。
山頂でボランティアのガイドをやっているおじちゃんが僕たちにフレンドリーに話しかけてくれました。パートナーとも楽しそうに話してくれて、本当に心が癒されました。

パートナーと外にいるときのある種の孤独感に加えて、旅行で知らない場所にいるという孤独感、その中でフレンドリーに話しかけてくれる人の存在を強烈に感じました。地に足が付いたような気分でした。

自分というものは、他人とのやりとりがあって初めて存在できるのだなと、気付きました。

長野県

岐阜から長野まで電車で移動しました。

いつも通り、岐阜駅からICカードを「ポン」と改札で通して、長野の奈良井宿へ向かいます。ですが、奈良井宿へ行くには何回か電車の乗り換えをしなければなりませんでした。まずは岐阜から名古屋方面に向かいます。そこから電車を乗り換えて長野方面に向かいます。

長野のある駅で降りたときに、改札を通らずに、そのまま別の特急列車に乗り換えました。

そしてその特急列車のなかで、車掌さんに切符を見せてくださいと言われました。「切符は持っておらず、ICカードで乗っています」と伝えると、「ICカードは使えないので」ということで代わりとなるチケットを発行してくれました。

ただ、愛媛県のローカル鉄道である伊予鉄道しか乗ったことのない僕には、この辺りの電車のシステムが複雑で理解できず、あたふたします。発行してもらったチケットも一部区間のみ適応されるようで、どうしたらいいのか心配になりました。

調べてみると、長野県はICカードが使える駅が少ないようでした。不安に支配されやすい僕は「今日の目的地の駅にICカード対応の改札機がなく、駅員に申告してもコミュニケーションがうまくいかず、申告漏れがあり、後日逮捕され、パートナーが国外退去させられたらどうしよう」とかなり焦り、心臓がドキドキしていました。

最終的には、駅員に申告し、ちゃんと清算ができて無事に終わりました。ですが、その直後はたまらなく胸がドキドキしていました。

ちなみに雪国の長野県の電車のドアは、自動でオープンするのではなく、「開」のボタンを押してドアを開ける仕組みでした。

同じ日本でもわからないことがたくさんあるんだなと思いました。当たり前ですが、ただ受け身でいるばかりでなく、自分の頭で考えないといけないなと思い直しました。この経験のおかげで、知らない世界に行くときの心構えがイメージしやすくなりました。次からは、より臨機応変に対応できそうです。

岐阜の夜

この日は、奈良と京都で一日を過ごしていました。

そして京都の人混みで洗濯されたあと、夜の電車で岐阜に向かいます。30,000歩あるいていたこともあり、かなり疲れていました。

そして、岐阜駅につくと、ライトアップされた黄金の織田信長像が待っていました。そのカッコいい独特の雰囲気は、疲れている僕には逆に不気味に映りました。そして、JRの駅なのに人が少なく街が閑散としていました。

なんとなく恐怖を感じ「怖い」「怖い」と思いながら歩いていました。
そして、宿についたものの、なんとなく「岐阜が怖い。明日ホテルから出たくない」と思っていました。

そして、翌朝。
外に出ましたが、普通の場所でした。何も怖いものはありませんでした。

わかっていたことでしたが、「自分の見ているものは、その時の体調や状況に、ものすごく影響される」ものなんだな、と改めて気付きました。

旅行を終えて

今回、8つの都道府県をまわりました。
岡山、兵庫、徳島、奈良、京都、岐阜、長野、山梨です。

旅行は疲れるものとわかってはいましたが、特に終盤は疲れがたまって「家に帰りたい」「ホテルで休みたい」「電車で座りたい」と頻繁に思うようになりました。

どの都道府県もそれぞれ特徴があって新鮮でした。面白くて楽しかったのですが、自分のいつもの家で、部屋で、布団でゆっくり休みたいという気持ちが、いつもうっすらとありました。

自分のホームというものの大切さ。物理的、精神的な支えとなる自分の街や、家の大切さのことを言うなんて当たり前すぎますが「RPGゲームの冒険の世界がこの日常だとしたら、体力ゲージをMAXまで回復させるための宿屋が自分の家やホテルだ」というふうに、自分の生活を客観的に捉えることができるようになりました。

今回、二週間ほど旅をしていましたが、朝は体力満タンで起き上がり、昼は歩き、夜は疲れてホテルで休むということを二週間毎日繰り返すことで「いまの自分の体力がMAX100ある内のどれくらいなのか」が客観的につかめるようになりました。

文章で見るとなんてことのない、当たり前のことを書いているように見えますが、僕の中では大きな変革でした。

今までは、自分の体力ゲージを把握するという感覚が薄かったり、自分の体力は有限だという当たり前の事実に鈍感だったので「もう体力が20%しか残っていないから休むべきなのに、頑張ってしまったり」「大したことをしていないのに、もう20%しかないことに対して、自分を許せず、自分は頑張っていないと、休もうとしなかったり」して、上手くいかないことがありました。

当たり前ですが、人間も周りのものと同じで、物理的な存在なんだなということが実感できました。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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