これは、過去のトラウマの記録です。
この記事は、見ていてしんどくなるような内容が含まれています。調子の悪い方や、暗い話を聞きたくない方は、ここで引き返してください。
高校生活について、お話しします。
僕が通っていた高校は、偏差値順に「特進、選抜、普通」というクラス分けがありました。
高校受験の当日、特進に受かったら部活が禁止されるという情報をたまたま聞きました。中学生時代に僕はソフトテニス部に入っていて、高校でもやりたかったので、なんとかしないといけないと思いました。
なので受験中、まず正しいと思う回答をマークシートに書いた後、いくつかの回答を消して、わざと間違った回答を書きました。
その結果、普通クラスに入学し部活に入ることができました。
高校一年生の時の学校生活は天国のようでした。
ゲーム機を持って行って、同級生と打ち合わせて授業中にこっそりゲームをしたり、携帯でゲームをしたり、授業中にガムを噛んだり、そういうちょっとした悪いことをするのが楽しかったです。
休みの日も、学校に行きたくてたまりませんでした。高校一年生の時はクラスメイトとも上手くやれており、楽しかったです。
ちなみに、部活は監督が暴力を振るう人で、とても怖かったので八ヶ月で辞めました。
高校二年生に上がる時、選抜クラスに行くことになりました。
選抜クラスは一年生から三年生になるまでずっと同じメンバーなので、僕はアウェイ状態になることが心配でした。
なので、たくさん勉強してクラスで一番の成績をとれば人気者になれるのではないかと思い、勉強をたくさんしました。
結果、一番になれましたが、人気者にはなれませんでした。それどころか「普通クラスから上がって来たやつが、一番とりやがって、気にくわねぇ」みたいな態度や雰囲気をとられ、実際にそういったことも言われました。
そのとき僕は「プライドだけやたら高い、クソ野郎共が」と反発し、孤立していきました。(今振り返ると、僕もプライドが高すぎたと思います。)
当時、僕は頑固だったので「卒業までずっと一番をとり続けて、お前らの面子をぶっ潰してやる」と意地になり、絶対に迎合してやるもんかと思っていました。
当然、僕がそんな態度だったので、友達が出来るわけもありませんでした。僕と周りには深い溝がありました。
僕が高校二年になったころから、家庭環境もより悪化してきたと思います。
その時、心の拠り所や安心できる場所、本音や弱音を話せる場所は、当然家にはありませんでした。
高校に入るまでも僕に友達は居なくて(中学時代に一人居たのですが、卒業して別々の高校に入った途端、冷たくなり、連絡も返してくれなくなりました)、家庭と学校以外のコミュニティとの繋がりもなく、高校一年生の頃に遊んでいた人と連絡をとっても、何故か誰も受け入れてくれませんでした。
誰も、味方がいないような状況でつらかったし、寂しかったです。
小学校の頃、三回ほど遊んだ同級生の家の場所を記憶してました。
とにかく、友達が欲しかったので、その同級生の家に行って、友達になってくれないか尋ねに行きましたが、ピンポンを押す勇気が出ずに、その家の前を30分程ウロウロしていました。
その同級生がたまたま外に出てきて「おっ、りゅうや、久しぶり!」となる展開を期待してましたが、その様にはならず、結局家に帰りました。
その、誰とも本音を話せない孤立の中で、しんどい家庭環境を抱えた中で、唯一支えになってくれたのが、勉強でした。
勉強に集中している間は、他の嫌なことや辛いことは忘れられるからです。一種の現実逃避です。
そして、勉強という行為そのものに「未来」を感じられる要素があり、より勉強をするという行為が加速していきました。
特に、国語と英語が好きでした。
国語は、物語に入り込んで別の世界を体験させてくれるし、小論文を読んでいると、その作者と会話をしている様な気がして、孤独感が少し紛れました。
英語は、遠い未知の世界というイメージで、遠くや、未知の未来を見つめさせてくれるものでした。「今はこんなだけど、いつかは…」という期待を抱かせてくれるようなもので、それによって多少でも励まされていました。
それでも、友達が一人もおらず、家庭でもちゃんとした交流ができない(一般的な家庭ではない)状況は、かなり辛かったです。
家でも辛くてよく泣きましたが、学校でも辛くて泣きそうなのをいつも我慢していました。
六時限の授業を泣かずに、気を張って、切り抜けて、放課後の補習としての教室での自主勉強の時間も耐えて切り抜けました。そして下校時、学校の門を抜けて最寄りの電車の駅の、ホームの先端に辿り着くまで泣きたい衝動をいつも堪えていました。
そして、ホームの先端、つまり誰にも泣き顔を見られない場所で初めて、思いっきり泣けました。
電車に乗ると、一番前の座席に座って、車掌室の窓ガラスの先にある進行方向を、辛い気持ちに耐えながらずっと見ていました。
秋冬の電車の座席の下から出てくる、暖房の風に少し慰められたような気分になる時もありました。
とにかく、「いまは、こんなだけど、いつかは幸せになってやる」と固く思いながら、学校生活を過ごし、勉強をしていました。
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