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【テアラロア Day5】「帰国」を考えた5日目の夜

もくじ

一人になりたい

5日目を迎えた。

いままで、いろんな人が親切にしてくれたけど、そろそろ一人になって、しんみりしたい気分だった。やっぱり僕は僕だ。

うつむきながらドミトリー内で、朝の支度をする。

最初に泊まったドミトリーでは、外国から来た二人に「一人で外国にきて心細くないの?」と聞いてみた。そしたら、二人とも「心細くはないよ」と返ってきた。

僕とは正反対だ。

だけど、そのうちの一人が「でも、自分の言語(英語)が通じない国だと、10日目以降は心細くなるかな」といっていてホッとした。

街を出て、田舎道を歩く。

心が落ち着いた。

ベリーと出会う

しばらく歩くと海に出た。ここから、ビーチ歩きが始まる。

でも、その前にお昼ご飯を食べる。地元のスーパーで一番安かったインスタントラーメンだけど、美味しかった。

食べ終わり出発しようとしたとき、ハイカーらしき人が見えたので、近寄ってお互いに挨拶をした。

話したところ、TAハイカーだということがわかった。

そのあとはずっと二人で話しながらビーチを歩いた。

彼の名前はベリー。

南アフリカで生まれ育ち、イギリスとオーストラリアに引っ越したらしい。いまはオーストリアのシドニーに住んでいるといっていた。

ベリーに「引っ越したあとは、心細くならないの?」と聞いたら、「ならなかったよ。というのも、南アフリカもイギリスもオーストラリアも英語を話す国だからね」と返ってきた。

そして、僕はこっちに来て5日目だけど「心細く感じたり、ホームシック気味になっている」というと、「それはそうだよ!僕は西洋の国から西洋の国に引っ越したけど、もし東洋の国に引っ越すとしたとしたら、文化も違うし言葉も違うから相当大変だと思うよ」と言っていてホッとした。

このビーチ歩きは、川渡りもある。

ベリーが先に渡る場所を探して、歩いていく。僕も恐る恐るついていった。

でも、スマホをズボンのポケットに入れたままだったので、スマホがびしょ濡れになってしまった。

それでも、暑かった体が一気に冷えて、疲れが一気に吹き飛んだ。

ベリーはとても優しかった。

「英語が聞き取れなかったら、聞き返してね!」と前置きをくれたり、僕の「異国に来た戸惑い」を説明するために西洋と東洋の文化や歴史の違いを教えてくれた。西洋の個人主義と東洋の集団主義があるけど、どっちがいいとかではなくて、それぞれ一長一短ある、それぞれの考え方ということも付け加えてくれた。

20kmのビーチ歩きが終わり、小さな公園のベンチに二人で腰掛ける。

ビーチ歩きをしながら「コーラが飲みたいね!」と話していたので、近くにあった個人商店でベリーが冷え冷えのコーラを買ってきてくれた。僕へのギフトということで、奢ってくれた。

うまい…!

そのあとは、お互いそれぞれの宿に向かった。

キャンプ場で疑心暗鬼になる

実はビーチ歩きのときに、最初の宿でたくさん話したチョーチ(オーストリアから来た)とも会って三人で歩いたけど、なんだかそっけない態度だった。

でも、チョーチはずっと体調が悪いと言っていたから、多分そのせいだろうと思いながらも、ビーチでベリーと三人で歩いているときは、ベリーにはときどき話しかけていたけど、僕には話しかけてくれなかったので、嫌われたんじゃないかと思って、苦しくなった。

そして今夜のキャンプ場に着いた。

リバートンホリデーパーク

テントを張って、シャワーを浴びる。

そして、テントの中にこもった。

異国の地で、ある一人に嫌われたんじゃないかと思うと、このキャンプ場にいる人みんなが、僕を嫌っているんじゃないかという気がしてくる。

顔見知りの人も何人かいて、笑顔で挨拶をくれたけど、腹の底では僕を嫌っているんじゃないかと、疑いがとまらなくなる。

苦しかった。

テントの外から聞こえてくる英語が、ますます僕を心細くさせる。なんで僕はここにいるんだろう。アジアの雰囲気が恋しく思った。

ここに来て初めて日本語を喋る

食器を洗いにテントを出ると、リリーという一人のスイス人女性がなんと日本語で僕に話しかけてくれた。

ビックリしながら、「なんで日本語話せるの?なんで僕が日本人だとわかったの?」と返した。

すると、「日本に8ヶ月いました。モンベルのテントを使っていたのでわかりました!」と答えてくれた。

嬉しかった…。少し話したあと「声をかけてくれてありがとう!」と伝えて、食器を洗う。

洗い終えたあと、うつむきながらテントに戻ると、リリーがこっちまで走ってきてくれた。

そして、たくさん日本語で話をしてくれた。どうやら、日本に8か月間、観光旅行で滞在していていて、その間に日本語の勉強もしたようだ。

北海道から沖縄までいろんなところを回ったらしい。そして、その間に日本のうどん屋さんで働いたり、庭師としても働いていたようだ。

ニュージーランドに来て初めて日本語が話せたので、嬉しかった。こっちにきて文化や言語が違うので大分戸惑っていることを伝えると、「うんうん」と頷きながら、優しくいろんなことを話してくれたり、励ましてくれた。

束の間のオアシスだった。

でも、その会話が終わりテントに入ると、元の心細い世界に戻った。

なんだか訳がわからないけど不安でたまらなくて、「帰国」の文字が頭に浮かんだまま眠った。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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