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【初めての県外生活】ホームシックになったときの静かな対処法

もくじ

はじめに

僕は生まれてから34年間ずっと、愛媛県で暮らしていました。

そして34歳のいま、人生初めての県外生活を「栃木県」でしています。引っ越して1か月半経ちましたが、ようやく慣れてきました。

ホームシック対策としていろんなことをやってきたので、今回はその内の一つを紹介します。

草や木や太陽、自然を味方につける

ホームシック対策としてやってきたことの一つが「自然を味方につける」ということです。

具体的に説明します。

散歩中に、道端にある野草や花などに目を向けてみてください。休憩で座った公園のベンチの足元に生えている植物や虫をじっと観察してください。

日本国内に引っ越しする場合だと、大体どこを見ても同じような雑草や野草が生えていると思います。

引っ越しする前の故郷とおんなじ種類の雑草や野草を見ていると、「住む場所が変わっても、この世界の根本的なところはずっと同じなんだな。故郷といま自分がいる場所はつながっているんだな」と安心感を少し感じられます。

故郷と同じ種類の植物が見つからない場合は、太陽や月でもいいと思います。空でも雲でも、限りなく広がる自然のなかに、自分をつなぎとめるものを探してみてください。

なぜ自然なのか

ホームシックで揺れる心を落ち着かせてくれるものは他にもあります。

前の家で使っていたお気に入りの家具でもいいですし、いつも見ていたテレビ番組やYouTubeでもいいと思います。ですが、ここで僕が勧めたいのは自然です。

僕たちの世界は、まず最初に自然があります。土台が自然です。そしてその上に、人や人工物、情報などが覆いかぶさっていると思います。

全ての源である自然に心をよせることで、土台のしっかりした自然に想いを馳せることで、安定感のある安らぎを得ることができます。

自然は普遍的です。自分の過去の歴史をさかのぼっても、どの場面にも自然は存在していました。心強い味方であり続けています。その普遍性が安心感をもたらします。そして自然は、人や情報と違って、人を心理的に傷つけることがありません。思う存分、心を開放することができます。

どこに引っ越したとしても、自然は存在します。

体感すると自分の世界が構築される

雑草や野草を「観察する」といいましたが「触ったり、匂いを嗅いだり」すると、もっといいと思います。

「見るだけ」と「見る+触る」では、自分の中で浮かびあがる感覚が違うものになると思います。手が届く範囲にいろんなものがあるのに、触らずに見てばかりいるのが、我々ではないでしょうか。

「見る」に「触る」でも「匂う」でも「食べる」でも加わると、自分の感覚の世界が立体的になり、心の充足感を味わえます。

広い世界を持つと、ホームシックが小さくなる

そうやって自然を体感していると、「自分って、地球という一つの惑星の上に、立っているだけなんだなぁ」と腑に落ちるというか、シンプルな考えに至るときがあります。

その時に、「この惑星の上に立っている僕がもっているホームシックも、そのうち雨や嵐で流されていくんだろうな」と思ったりします。

そして、自分が一つに集約されていくような、心地のよい諦めと気の引き締まりを感じます。

おわりに

今回僕が紹介した方法が合わない人も、たくさんいると思います。

僕が他にやったホームシック解消法は「ガンガン外に出る」です。外に出て、いろんな場所を散歩し、いろんなお店に入り、いろんな人と出会い、できたらすれ違う人と挨拶をする。

「街に馴染む」ということは、目に見えないものなので実感しにくいのですが、外出して外の景色を浴びるたびに、「建物のペンキの色が少しずつ自分にふりかかっている」とか「人とすれ違うたびに、人のオーラのようなものが少しずつ自分に交わっている」とか、なんでもいいのですが、そんなふうに物理的に自分がこの街と交わっていると想像するのも、いい手だと思います。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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