いま思っていることを、とりとめもなく話します。
若くて幼いときに書いた詩の束を整理していて、タイトルに書いたようなことを思いました。
あの幸せだった毎日は 優しい君のせい: 詩集口に出す言葉が、年をとって、社会にもまれるたびに、どんどん変わっていきます。
年齢的に大人になった僕は、「社会人」という慣れない肩書に、自分がしっかりと似合うように、「社会人らしい」言葉遣いをするよう気をつけるようになりました。
ちなみに、社会人っぽい言葉遣いにはいまだに慣れずに、違和感を感じながら話しています。
一体僕はいつから大人になったのか?大人に変わったのか?
よくわかりません。
これは僕の思い込みかもしれませんが、「社会人らしく」きちっとしていないと、世間から見下されるような恐怖感があります。
話が少し脱線しました。
口に出す言葉が、年を取るたびに、どんどん変わっていくという話に戻ります。
どう変わっていったのかというと、大人になるにつれて、本能的な言葉を使わないようになりました。
僕は日本人で日本語を話します。
だから、日本語ならどんな言葉でも口から出せると思いがちです。
でも、大人になるにつれて、口から出せなくなる言葉があります。知っているけど、もう出せなくなる言葉です。本能的な言葉です。
本能的な言葉とは、言い換えれば、素直で正直な言葉です。
素直で正直な言葉とは、誰かの前で「泣きじゃくる」ような言葉です。
心の底に触れるような言葉です。そして心が動く言葉です。
「好き」って人にいえますか?
ゆっくりと嚙みしめるように、いえますか?
「愛されたい」っていえますか?
「泣きたい」「素直になりたい」「会いたい」はどうですか?
ごまかしのような言葉をはさまずに、そんな言葉を丁寧にいえますか?
僕はいつの間にか言えなくなっていました。10代のころに聞いていたラブソングの歌詞を改めてみたときに、「恥ずかしい」と思うようになりました。
恥ずかしいと思うような「未熟な」言葉は、本当は本質をついているのではないでしょうか?だから、恥ずかしいと思うのではないでしょうか?
大人になったいま、10代の頃に聞いていたラブソングの歌詞を真剣にもう一度、噛みしめろとはいいません。でも、そのときの自分の気持ちをもう一度思い出すのもいいんじゃないでしょうか?
そんな「未熟な言葉」を素直に受け止めたとき、自分の中にあった素直で正直な気持ちに気付いたとき、自分の心があたたかくなるのを感じます。
そして、そのあたたかさの中にいると、「自分はこれでいいんだ」と自分を抱きしめてあげることができるような気がします。
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