僕は愛しているのだろうか
「相手に感じている自分のこの気持ちは愛なのか?」
「このまま交際を続けていってもいいのか?」「自分の気持ちすらよくわかっていない、混沌とした状態のまま事を進めていってもいいのか?相手をものすごく傷つける結果に終わるんじゃないか」
はじめての国際恋愛で、そんなふうに思っている人はいませんか?
僕はいまのフィリピン人パートナーと付き合い始めた頃、こんなことを毎日、自分に問いかけていました。いままで自分が付き合ってきた日本人に対する気持ちと違っていたからです。なぜ違うのか、その理由も言語化できずに、「わからない、どうしたらいいんだろう」という思考の渦にのまれていました。
それから5年たった今では、相手に対する自分の気持ちは「愛」で、「付き合ってよかったんだ」ということがわかりました。
その当時、なぜ自分の気持ちがわからなかったのか。その理由を紹介します。
言語の違いが自分の気持ちにモヤをかける
言語の壁のもう一つの壁
「言語の壁」というと、「あぁ、はいはい言語の壁ね。言葉が通じないと、そりゃあしんどいよね」という答えが返ってきそうです。
ですが、言語の壁の大変なところは「単に言葉が通じない」だけではなく、日本人みんなが共有できていた一番のもの、つまり「言語」を共有できないというこの事実が、僕たちの土台に揺れをもたらすところです。経験してみるとわかりますが、これは想像以上の不安をもたらします。
そして、このことを言語化して自分で理解できていない場合、なんだかいつも落ち着かなくなります。震度3の地震が定期的に自分の心で起こっているような不安感に悩まされます。
背景を共有する
人は人と同じものを共有することで、安心感を得られるのだと思います。
僕は小学生のころ、漫画やアニメ、バラエティ番組に興味がありませんでした。ですが教室の中は、当時流行っていた「ONE PIECE」や「学校へ行こう!」などの話で満ちていました。
僕は観ていなかったので、話について行けずにとり残されていましたが、ほかのクラスメイトは、その話をすることで結束を固めて、仲間をつくっているように見えました。それでも当時は、いまのようにYouTubeやTikTokなどなく、みんなテレビを観ていたので、共通の話題で話ができることもありました。そのときに、ホッとした喜びが湧き上がっていたような気がします。
他にも、共通の話題になりうるものはたくさんあります。
自分が住んでいる地域の話、学校行事の話、流行った音楽、話題になったお笑い芸人などです。
大人になって地元から離れて生活しているときに、同じ地元出身の人と偶然友達になって、地元のあるある話に盛り上がった経験がある人もいるのではないでしょうか。
それだけ、「同じものを共有するということ」が安心感をもたらしてくれるのだと思います。
最近は、テレビを観る人が減り、YouTubeやNetflixなど、選択肢が爆発的に増えました。それだけ、同じものを共有するということが難しくなりましたが、依然として変わらず、僕たち日本人同士の共通の背景として存在し続けるものがあります。
それが、言語(日本語)です。
どんなに時代が変わっても、この言語だけは「最後の砦」のように、僕たちの背後にあり続けます。そして、その最後の砦のような言語が違うとなると、それだけ心が不安定になって当然だということです。
体験談
それはまだお互いの家に通い始めたばかりの頃でした。
僕は、この漠然とした不安感と、「相手のことが本当に好きなんだろうか」というモヤモヤ感の中にいました。
当時のパートナーとベッドに寝転がり、あまり得意ではない英語でやりとりをしているときに、急に彼が、ペラペラの日本語で短い文章を話しました。僕は穏やかな性格なのですが、そのときにとてつもなく心がいきいきと反応し、ベットから飛び上がり、感極まってエネルギッシュな日本語で答えました。
そのときに、相手に対する気持ちにかかっていたモヤが一瞬晴れて、「好き」だという気持ちがチラッと見えました。
彼は僕を驚かせようと、日本語の文章をコッソリ練習していたようでした。
この経験からいえるのは、同じ言語を共有していないことが、相手に対する「愛」の気持ちにモヤをかけているかもしれないということです。
アイデンティティが崩れて迷子になる
僕はいまのパートナーに出会うまで、ほぼ100%「日本語・日本人」オンリーの生活をしていたので、そういった世界観を身につけていました。
ですが、パートナーの家に入ると、英語やフィリピン語の調味料や食材ばかり、歯磨き粉も英語でサイズも少し大きくて赤い色をしている。本棚の本も全部英語で、ありとあらゆるものが「いつもと違う!」。彼は英語を話すし、彼の顔のつくりも日本人のつくりとは違う。
このときに、僕のアイデンティティはものすごく揺れ動きました。そしてただ、落ち着かなさを感じていました。そしてそんな混沌の中にいるからこそ、それを言語化できずに、漠然と不安を感じていました。
僕の場合は、彼と一緒にいるときだけではなく、一人で生活しているときも「まるで違う世界に入ったかのように」不安を感じ続けて、迷子のような心細い気分でいました。
しっかり「外国人」と接したことがはじめてだったので、それだけ僕の世界観や価値観は揺れ続けました。
いま思うと、そういったアイデンティティの変化にのまれて、彼への気持ちを冷静に感じられなかったんだろうなと思います。
友人に相談したら
「相手への自分の気持ちがわからない」「相手のことは好きだけど、これは本当の愛なんだろうか」ということを友人に相談しました。
すると、「じゃあ、逆に誰かからそういうふうに相談されたらなんて答えますか?」と返ってきました。そして「いま定期的に会っている人がいるんですけど、一緒にいて楽しいし、どっちかというと好きなんですけど、相手のことが本当に好きなのかどうかがわからないんですよね。どうしたらいいと思いますか?」とその友人に質問されました。
その質問に「うーん、でも、一緒にいて楽しくて、どっちかというと好きなんだったら、一緒にいたらいいんじゃない?別に会わなくする必要はなくない?」と僕は冷静に返しました。
そして「そうか、一緒にいて楽しいし、どっちかというと好きなんだったら、別にこれからも会ったらいいよな」と思いました。
おわりに
今回は「相手のことが本当に好きなのかわからない」という悩みに対する、僕の個人的な経験を紹介しました。
「言語の違い」や「アイデンティティの崩壊」によって、自分の気持ちが見えなくなっているというのが、僕の経験からくる答えです。
そして最後に紹介した、「友人から逆質問をしてもらう」というのも、自分の状況を冷静にはかることができるいい手だと思います。
ですが、本当に相手のことが好きではなかったというパターンもあると思います。その場合は仕方がないのですが、「本当は愛していたのに、それがわからなくて別れてしまった」なんてことにならないように、この記事をぜひ参考にしてみてください。
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