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無色透明な人間が色をつけようと生き急いだ結果、見つけたのは唯一無二の自分のカラー

もくじ

無色透明もしくは白色の人間

「無色透明な人間」とは僕のことです。

僕は昔から自分のカラーがありませんでした。わかりやすくいうと、自分の想いや考え、自我のようなものがあまり、ありませんでした。

いつも周りに流されていました。ずっと流され続けていました。いろんな人がいろんな方向の流れをつくり、僕は洗濯槽のなかの洗濯物のように、ただ揉まれ、白色もしくは無色透明の人間として存在し続けることになりました。

中学生のころ、まわりの人は「ああしたい」「こうなりたい」という意思があったり、趣味があったりして、僕は「いいなぁ」と静かに思っていました。

高校一年生のときは、人生で唯一、学校が楽しいと思えた一年間でした。

その理由は、僕を好いてくれた人がいつも隣にいてくれたからです。その人はクラスの人気者で、強力なカラーをもっていました。その人の隣にいると、僕もその人のカラーに染まることができて、クラスで好かれるようになりました。

ただ、一人になると僕は無力でした。

一人になった瞬間、その人で染まったカラーが抜け落ち、もとの無色透明に戻ります。そのときに、僕は無力さを感じ、「僕は誰かの色に染まることでしか、自分のカラーが出てこないんだな」と落ち込みました。

初恋の人のカラーが強烈で、僕は自分を変えたくて仕方なかった

高校を卒業したあと、初恋をしました。

その人は東京に住んでいて、お笑い芸人としてテレビにも出ていたり、ゲイバーでアルバイトをしていたりと、僕とは正反対の人間でした。

田舎に住む、なんの取り柄も個性もない僕は、その人に会って強烈な衝撃を受けました。

その人はとにかく強力なカラーをもっていました。強い信念や、ものごとに対する考え、こだわり、行動力など、その人の前では僕の存在が小さすぎて、自分が恥ずかしく感じるほどでした。

「ブランドが好きな人って好きじゃない」とその人はいっていました。

僕は自分の考えも知識もなかったので、「なんでもいいんじゃない…?ブランドってあんまり触ったことがないからわからないけど、ブランドのほうが高いから質がいいんじゃない…?」と心でひっそりと思う程度でした。

そして、「そんなことを考えているんだ、すごいなぁ…」とただ思っていました。

違う人間になりたい

東京から帰ったあと、すぐに自分を変えようと決意しました。

自分のような人間なんかつまらない。がんばってなにか魅力のようなものを身につけて、カラーをもち、なにごともきっぱりと断言をして、ものごとに自分の考えをもつ。

そうすることで、「僕」というものが誕生する。

そんな気持ちでいろんなことにチャレンジしました。劇団に入り、ゲイバーで働き、バドミントンサークルに入り、自転車旅をし、LGBT活動に参加し、音楽をつくり、詩をつくり、個展を開き、タバコを吸い、髪を染め、苦手な人付き合いをたくさんしました。

いままでの無色透明だった、なにもしていなかった期間を取り戻すかのように、いろんなことに参加してスケジュール帳を埋め尽くしました。そして、体調を崩しました。

僕は違う人間になりたくて仕方なかった。

体調を崩してからとくに何もしなかった

そのあとは、「なにをしたか」をリストにしていったら、一ページで終わるような4年間でした。

毎日、むなしく過ごしていました。自分を変えようと、いろんなことをしながら希望に向かっていたけど、やっぱり僕は無色透明な人間。僕は僕なんだろうかと、悲しくなりました。

そして自分を変えようとした分、変に自我が目覚めてしまった。「もう元の無色透明な人間に戻りたくない」という思いが僕のスタンダードな意識として定着してしまいました。

肝機能障害になり人生は有限だと感じた

29歳のころ肝機能障害になり、死を意識しました。

身体があまり動かせなくなり「僕はもうすぐ死ぬんだ」と思ったときに、なんでやりたいことをやらなかったんだろうとひどく後悔しました。

そのときに浮かんだやりたいこととは「海外の人と遊んだり、海外の友達をつくったりしたい」ということでした。そのためにゲストハウスにいって、外国人にバンバン話しかけてみようかなぁと考えていました。でも、ハードルが高くて、結局やっていませんでした。

死を身近に感じながら、そのやりたいことを考えるときに、「ゲストハウスにいって外国人に話しかけるだなんて、そんな簡単なこと、なんでやらなかったんだ」と強烈に後悔しました。

その後、肝機能障害が治り、外国人であるフィリピン人パートナーと付き合うことになりました。

「やりたいことをやらないと」と焦り

肝機能障害になったことで、「やりたいことをやっておかないと」という焦りや、モチベーションが湧きました。

外国人と接する以外にもやりたいことがありました、それが登山や旅でした。

なので、それ以降毎週のように登山をしました。仕事をやめて無職になったあとは、ロングトレイル自転車旅原付旅歩き旅など、やってみたかったことをたくさんやりました。

ですが最近は「やりたいことをやる」ということが形骸化して、「あれもやらないと」「これもやらないと」とプレッシャーや焦りに押されてばかりいます。

これを生き急ぐというのかもしれません。

なにがよくないかというと、気持ちがついてこないのです。

「あれもやってみたい」「これもやってみたい」という気持ちはあるのですが、いざやろうと計画すると、めんどくさすぎて全然やる気になれないのです。やりたいことを短期間で詰め込みすぎて、疲れてしまったのかもしれません。

それでも、「やりたいことをやらないと」というプレッシャーや焦る気持ちだけは、依然として残っているので、困っています。

現在地

最近はまた、とくに何もせずに毎日を過ごしています。

「あぁ、なんだか無駄に時間を過ごしているなぁ」という昔の自分なら思わなかったことを思いながら焦りを感じ、でも一方で「疲れているから休みたいな」と思うのが正直な気持ちだと知っています。

何色ともいえないカラーを手に入れて

人生のなかで、いろんな装飾を自分にほどこし、それをはぎ捨て、また装飾をほどこし…という連続のなかで、人はそれぞれオリジナルなものになっていくのだと思います。

「ほかの人はどうしているんだろう」「自分はこれでいいのだろうか」と不安に思っても、人は生きるほどにオリジナルなものになっていくので、自分と同じような人を見つけることも困難になっていくのかもしれません。

僕は僕の、いまの何色ともいえないカラーをまとって生きています。

同じカラーの人に出会うことはもうできないのかもしれませんが、代わりに、自分のカラーを魅力的に感じて近づいてくれる人はいるんじゃないかと希望をもって生きています。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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