ねぇ、「大人」なんていないんじゃないの?

テレビ番組を見ていた。

日本の子供たちが、外国の子供たちと国際交流を通じて絆を深めるという内容のあとに、コメンテーターが「子供は本当に、純粋で、宝物のような存在ですね」というようなことをいっていた。

それを聞いた僕は、複雑な気持ちになった。

正確にいうと、35歳の僕は強烈に嫉妬した。僕の中にも子供心はあるし、本当は子供で生きていたい。

テレビ番組だから、コメンテーターの人はそういう言葉をいっているのかもしれない。

「子供は純粋で、宝だ」というフレーズは、いろんなところでよく耳にする。みんな口をそろえたかのように、そんな言葉をいう。表向きそういっているのかもしれないけど、その言葉を聞くたびに僕はゾッとする。

「自分たち大人も、同じような子供心はあるだろ!」

僕の目には、世の中の大人が「自分は大人である」と勘違いしているように、映る。

世の中の人は、子供と大人は別物だと考えているように思える。

自分の心のなかにある子供心を、無視したり、無視しようとしたり、無視したふりをしたりして、自分の中の子供心を諦めようとしているように見える。「大人だから…」という都合のいい言葉で、自分を埋もれさせようとしているように見える。

そして言葉遣いを、大人用に変えてゆく。

服も、話す内容も、身につける色も、外の歩き方も、表情も、なにからなにまで大人用に変えてゆく。そして、自分は大人になったと思い込む。子供心を失ったと思い込む。

僕はどうしても、この「大人用」に違和感を感じ続けてしまう。

現実の世界では、子供のような言葉を使っては不利益を被ることもあるから、僕もきちっとした大人用の言葉を使うようにしている。

でも、そんな大人のような言葉遣いをしている間、「子供の僕(正直な僕)は、どこにいるのだ」と思うときがある。

そして、そんな大人用の言葉や行動を社会でとり続けていると、僕は大人になったような気分になって、子供の自分がどこにいるのかわからなくなる。子供のままなのに。

これから話すことは、もしかしたらいまだに僕が未成熟だからそう思うのかもしれない。でも、思うことがある。

僕は、自分がいつから大人になったのかがわからない。もしくは、変わったのかがわからない。

僕は、子供のころから今に至るまで、ずっと子供だ。

年齢は35歳だけど、なにが僕を大人にしているのかがわからない。

「18歳になったら」「お酒を飲んだら」「正社員になったら」「結婚したら」「車を持ったら」「スーツを身につけたら」「人に偉そうな態度をとれるようになったら」…どうなったら大人になるのか、わからない。

年を取るごとに、周りの目が変わる、周りからの扱いが変わる、それに合わせて、その社会の中で適切だと思われる服を着る、適切だと思われる言葉を使う、適切だと思われる態度をとる。

どれも受動的で、流されているだけだ。

それを大人と呼ぶのなら、大人の中身は空虚なものなんじゃないかと思う。

これは大人を批判しているとか、そういう記事じゃない。我々は生活をするために、大人に変装をして社会でうまくやっていかなければならない。

ただ、変装をしたあと、自分の部屋に帰ったときに、その大人の変装を脱ぎ忘れている人がいるんじゃないかと思う。多いんじゃないかと思う。そして、自分は大人だと思い込んでいるんじゃないかと思う。

これは僕の勘違いなんだろうか?

僕が未成熟だからそう思うんだろうか?

みんな本当は子供なんじゃないの?

大人に変装しすぎて、元の姿がわからなくなってるんじゃないの?

それを「大人・子供」と、ある部分過剰に区別して考え、なにごともないかのようにやり過ごしている社会の風景を見ていると、息が苦しくなってくる。

大人の中には、ちゃんと子供がいる。

ねぇ、本当は大人なんていないんじゃないの?

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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