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【石鎚山系ロングトレイル ♯1】孤独と向き合った6泊7日の山旅日記

愛媛県久万高原町「久万スキーランド」から、香川県観音寺「道の駅とよはま」まで、四国山地を歩く11泊12日の山旅を計画しました。テントや食料、全ての装備をザックに詰めて歩きます。地上の世界とは違って、自分でコントロールできることが限られた状況の中で、その状況に翻弄されながら、いろんなことを考え続けました。

もくじ

1日目

いままでの山旅の最長は3泊4日。

11泊というのは完全に未知の領域。12日分の食料を詰め込んだザックは経験したことがないくらい重たい。しかも、12日間のうち10日間が雨予報という不安要素だらけのなか、バス停に向けて出発する。

バス停に向かうまでも、バスを待っている間も、バスに乗っている間もずっと緊張していた。

と思ったら、バスの通路を挟んで反対側に座っているおじちゃんが話しかけてくれた。

おじちゃんは岡山県倉敷市に住んでいて、もともと学校の先生をしていたみたいだ。退職されてからは一人旅によく行くようになったみたいで、今回は愛媛県の「岩屋寺」という場所に向かっているということだった。僕が山に登るのが好きだということで、愛媛県以外のいろんな山のことも教えてくれた。

専門は「政治・経済」ということらしいけど、その話はなく、いろんな面白い歴史の話をしてくれた。たくさん話していたので、いつの間にか緊張はなくなっていた。話しすぎるあまり、目的地のバス停を逃さないかだけ心配しながら、会話を楽しんだ。

そして、目的地のバス停に到着。

気持ちのよい晴れ空だった。雨予報が続くなか、初日が晴れてくれてよかったと思った。

そして、スタート地点の「久万スキーランド」から旅が始まった。

前回の山旅も、自転車旅をしたときもそうだったけど、旅の初日っていうのは気持ちがフワフワしていて、特になにも感じない。まだ、新しい非日常に地に足がついていない感じだった。いままでの日常とこれからの非日常の境目を歩く。

2日目


早朝、歩き出す。

長距離を歩く生活を始めてまだ2日目だから、脚は重くて鈍い。だけど晴れていて、気持ちがよかった。春めいていて、自分の汗の匂いが心地いい。自分の服の汗の匂いをかぐと、高校時代の部活をしていたときのフレッシュな感覚を思い出して、少し力が出でくる。

いい感じ。

そして一瞬、舗装路に出る。

舗装路を歩いていると、道端にたくさん「つくし」が生えていた!

子供の頃はよく摘みにいっていたけど、大人になってからは、つくしとは一切縁のない生活をしていたので懐かしかった。つくしの料理の仕方をよく知らないので、一瞬「どうしようか」と躊躇したけど、「まあいい、今夜の晩御飯にしよう!」とたくさん摘んだ。

そのあとの山道は、厳しいアップダウンが続いた。
急登に差し掛かるたびに、上は見ずに足元だけを見た。急登の先、斜め上を見上げたら、行く先がはるかに遠く感じて「これは無理だ」と心がやられてしまうので、なにも考えずに下だけを見て歩いた。

17時半頃、ついに石鎚山系に入った。

日没間近のうす暗い、静かな石鎚山系に一人でいると、心が落ち着いた。

そして、目的地の小屋が見える。

今日は平日で、しかも明日は降水確率が100%。「絶対に人はいないだろう」と思いながら、歩いていた。でも、なんとなく「人がいるんじゃないか」という予感があった。それでも、「いや、まさか、そんな訳はないよな」と思っていた。

愛大堂ヶ森避難小屋

小屋に着くと、予想通り誰もいなかった。でも、その5分後、一人やってきた。

彼の名はエティエン。

フランスからやってきたそうだ。まさか、人はいないだろうと思っていたのでビックリした。

エティエンは優しい雰囲気を持った人で、見るからに好奇心に満ちあふれていそうなナイスガイだった。

以前、北九州の大学に二年間留学していたようで
そのあと、フランスに戻ったらしい。そして仕事を辞めて、今回フランスから飛行機を使わずに、陸の手段だけで日本に来たそうだ。

日本に来るまでに、その途中にあるラオスやタイ、韓国や中国などいろんな国を歩いたけど、国と国との境目は感じなかったといっていた。どこの国に入ったから人がガラッと変わるわけでもなく、連続体で、基本的に人は同じだったといっていて、なんとなく「ハッ」とした。

電気のない夜の山小屋で、キャンドルを二本燃やしながら話した。修学旅行のような高揚感があった。

つくしの袴をとりながら話している最中に、久しぶりにデジャブを見た。子供の頃は頻繁に見ていたのに、大人になってからはあまり見なくなっていたので、なんとなく青春を感じた。

エティエンに、デジャブの話をした。

僕は、運命をコントロールできないような無力感を感じて不安になるといったが、彼は不思議で面白いと好奇心旺盛に話していた。

いろんな話をした。

彼はヒッチハイクをして移動しているみたいだった。「ヒッチハイクって怖くないの?車、止まってくれるの?」と聞くと、「とまってくれる車の運転手は、とまってくれるくらいだから、みんな優しくてオープンマインドだよ。いろんな国でしてきたけど、いままでトラブルにあったことは一度もないよ」と言っていた。

「日本人はとまってくれるの?」と聞いたら「日本は特にやりやすいよ!必ず10分以内に誰かとまってくれるよ」と言っていて、ビックリした。

「最初の一回は怖いけど、一回さえやってしまえば、あとはこわくなくなるよ」と言っていて、僕も今度やってみると伝えたら、応援してくれた。

いろんな話をしながらも、少し緊張していて、僕の話に変な間がたくさんあったので「僕はシャイで時々何を話したらいいかわからなくなる」と白状したら「ははは、大丈夫!沈黙があっても気にしないで。お互いに、ただ、好きなように時間を過ごそう」と笑いながら、言ってくれた。

3日目

別れ際、エティエンに「一緒に写真を撮ってもいい?」と聞かれて「もちろん!」と答えた。僕も自分のスマホで撮った。

そのあと、エティエンがうつむき何か考えている様子で、顔を上げて「これに、日本語でも何語でもいいから、なにかメッセージを書いてほしいな」と大切に扱っていそうな雰囲気が漂う手作りの日記帳を渡してくれた。

一瞬、何を書こうか迷ったけど、伝えたい言葉がでてきてスラスラ書けた。あまりにスラスラと書けたので、書き終わったあとは、なんて書いたか、すでに忘れていた。

お互いに「気をつけてね!」と言って握手をして、別れた。

今日は一日中雨なので本当は小屋で停滞しようと思っていたのだけど、エティエンが「この雨なら行けそう、出発する」いうので、僕もなんとなく「行けるんじゃないか」という気分になって出発した。

エティエンの行く方向は樹林帯で、しかも高度を下げていく道だったから木々に守られるけど、僕が行く方角は裸の稜線上(山のてっぺん)で雷、風、雨の影響をもろに受ける。

始めの方は、そんなに雨はひどくなかったけど、途中からどんどん悪化した。雷も落ち始めた。出てきたことを後悔した。完全に選択を誤ったと思った。

歩いていると、雷に打たれる予感がした。

昨日は、山小屋に誰かいるという予感が当たった。そして、自分が雷に打たれるビジョンが見えた。思考が現実化しそうで怖かった。パートナーとお母さんのことが頭に浮かんだ。僕が死んだらどれだけ悲しむか。死ぬものかと思っても、気力をみなぎらせても、どうにもならないのが雷の圧倒的な怖さだった。

今日の目的地までは、まだまだ距離があった。このまま裸の稜線上の上を歩けるわけがなく、急遽、泊まる場所を変更した。

愛大石鎚小屋

そして、今日の山小屋についた。

もちろん誰もいなかった。

雨の薄暗い小屋の中で「助かった」と思いながら、服をかけ、荷物を整理し、暖かい紅茶のためのお湯を沸かした。まだざわめいている頭を鎮めるために、やることを一つ一つゆっくりとこなしていった。雨のせいで、湿った空気が小屋にこもっていたけど、心底ありがたかった。

4日目

朝起きて気分が少し不安定だった。ソワソワしている。

外には、「動」といった感じのダイナミックな空があった。

これから「石鎚山」へ向かう。

石鎚山山頂のレストランはまだ、時期的にオープンしていなかった。

ここで、トンカツやカレーライスなんかを食べようと楽しみにしていたけれど、仕方がない。そして、いつもなら人がわんさかいる石鎚山に人がいない。

1000年後の石鎚山は、こんな感じなんだろうかと思った。

この日も天気はあまり良くなくて小雨が降っていた。悪天候だし、4日目だし、心細くなってきた。

沿道から声援をもらえるマラソンランナーの気分になって自分を慰めた。誰かが声援をくれているところを妄想して、僕も必要以上に苦痛に顔を歪めて、マラソンランナーの気分になりながら、一人歩いた。

力が、少し湧いた。

石鎚山を降りた後、楽しみにしていた土小屋レストラン&ショップが開いていなくて残念だった。

山頂のレストランも開いていなかったから、「もしかしたら、ここも開いてないかな」とは思っていたけど…。

「それならば!」と、隣にある自動販売機でコーラを買おうとしたら、これも開いていなかった。

ただ、近くにあった公衆便所の便器に座ると便座が暖かくて、ものすご~く落ち着いた。ちなみに、ウォシュレットの水も温かくて、更に癒された。

土小屋前のスペースで、今日三回目の靴下絞りをする。

13時時点の天気は良くもなく悪くもなく、穏やかな感じで、のんびり歩いていた。

エティエンに聞いてみたいことが、今更たくさん思いつく。あの時、僕は日記帳になんて書いたんだろうと思い出そうとするも、思い出せなかった。連絡先、聞けばよかったなと後悔した。

そして瓶ヶ森テント場で、テントをたてる。

モバイルバッテリーの残量が思ったよりも少ないことに気がつく。このままだと11泊12日ができないかもしれない。

作戦を考える。

とりあえず、「当初のゴールにはこだわらないことが大事」というフワッとした結論にいたった。

深夜1時、床冷えで目が覚めた。

寒くて眠れないので、避難小屋へ移動する。そして、作戦を再び考える。よい方法を3パターン思いついたせいで、興奮して眠れなくなる。

早く歩きたい。

風のせいで、誰もいるはずのない小屋の中で物音が聞こえる。幽霊じゃないかと、どうしても考えてしまって怖かった。だけどこれも長い人生の一部でしかないと思い、普通に過ごすことにした。

結局、3時間しか寝れなかった。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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