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心の中の孤独を抱えて、登山で見つめる「遠くの世界」

誰にも理解されないという気持ちを抱えているとき、または「そもそも誰かが誰かを理解するなんて不可能なこと」だとすでに知っていて、それを上手くやり過ごせないとき。

山に行きます。

山に何があるのかというと、特になんにもないのですが、行きます。人がいないマイナーな山に行きます。

人ではなく「土や木や石などの自然が助けてくれるんじゃないか」と自然に甘えるような、同化しようとするような気持ちで歩きます。

もちろん、僕は自然の声が聞こえるわけではありません。自然からはおそらく、無視されていると思います。

「自然の声を聞きたい」と思いをせているときに跳ね返ってくるのは、自分の気持ちです。

そして「あぁ、そうだよな。どうあがいても、僕はここにいるだけだよな」とちょっと寂しく、ちょっと諦めがつくような気持ちになります。

そして、また歩きます。

歩いていると、肌を露出したくなります。

アームカバーや手袋、帽子を身につけていたら、それらをはぎ取って、歩くときにこすれる風に肌を傷つけてほしくなります。全裸にはなれませんが、風で、全身を見えないかすり傷だらけにしたくなります。

山を歩くとき、遠くの世界に思いを馳せることがよくあります。

山の広大さが、まだ見ぬ遠くの世界を連想させます。遠くを見ていると、希望を感じ続けていられます。生きる力が湧いてきます。未知の世界というのは自分の想像をはるかに超える世界です。そこに辿たどりつくまで、孤独感が背中を押してくれる。

最後に山から下りたとき、少し気が引き締まっているのがわかります。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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