誰にも理解されないという気持ちを抱えているとき、または「そもそも誰かが誰かを理解するなんて不可能なこと」だとすでに知っていて、それを上手くやり過ごせないとき。
山に行きます。
山に何があるのかというと、特になんにもないのですが、行きます。人がいないマイナーな山に行きます。
人ではなく「土や木や石などの自然が助けてくれるんじゃないか」と自然に甘えるような、同化しようとするような気持ちで歩きます。
もちろん、僕は自然の声が聞こえるわけではありません。自然からはおそらく、無視されていると思います。
「自然の声を聞きたい」と思いを馳せているときに跳ね返ってくるのは、自分の気持ちです。
そして「あぁ、そうだよな。どうあがいても、僕はここにいるだけだよな」とちょっと寂しく、ちょっと諦めがつくような気持ちになります。
そして、また歩きます。
歩いていると、肌を露出したくなります。
アームカバーや手袋、帽子を身につけていたら、それらをはぎ取って、歩くときにこすれる風に肌を傷つけてほしくなります。全裸にはなれませんが、風で、全身を見えないかすり傷だらけにしたくなります。
山を歩くとき、遠くの世界に思いを馳せることがよくあります。
山の広大さが、まだ見ぬ遠くの世界を連想させます。遠くを見ていると、希望を感じ続けていられます。生きる力が湧いてきます。未知の世界というのは自分の想像をはるかに超える世界です。そこに辿りつくまで、孤独感が背中を押してくれる。
最後に山から下りたとき、少し気が引き締まっているのがわかります。
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