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国際恋愛(国際結婚)の偏見や悩みを前向きに捉えるとするならば

もくじ

はじめに

国際恋愛の悩みといってもいろんなものがあると思います。

今回の記事で想定しているのは、「パートナーと外出しているときの自分たちに対する周りの反応が、一人で外出しているときの反応と明らかに違う」「差別にあった」「はじめて会う人と話をしているときに、会話のなかで外国人に対する嫌な言葉が出てきて、人と会うのが嫌になる」などの悩みです。

こうした悩みに出会うたびに、「こういう悩みはこれからも一生、続いていくんだな」と思わされます。

一生続くのなら、その世界で「生きてやる」

広大な自然を歩いていたときに、思ったことがあります。

「残りの人生あっても、たかだか数十年」。その短い命が荒波だとしたら、僕はパートナーとタッグを組んで、二人で作った船で、この生きにくい世界を「冒険」してやったらいいじゃないか

平穏に生きていくことが目指すべきゴールだと、無意識に思っていました。

本来だったら、日本人カップル同士だったら(人権が保障されていたらという意味)、「あたりまえに得られるはずのものが得られない」「苦しまなくていいことで苦しむ」なんていう経験をせずにすむという空想が、嫌な経験をするたびに頭の中に浮かんで、僕につきまとっていました。そして「損をしているような」気分になっていました。

だけど、社会が大きく変わらない限り、その空想は永遠に空想のままです。

その空想にしがみつけばつくほど、苦しみは大きくなります。だから僕は、いったんその空想を捨てることにしました。その空想を捨てて、「不平等で、不利益を被っているこの現状しかありえないんだ」と思うことにしました。

それは、「差別や偏見を受け入れるということ」とイコールになってしまいますが、もちろんそれでいいといっているわけではありません。

この考え方はあくまで、当事者の目線からの、現実世界での苦しみをテクニカルに和らげる方法として書いたものです。

「差別や偏見があってもいい」といっているわけでは、決してありません。

冒険という感覚

現状という「荒波」をうまく乗りこなすには、「冒険」という感覚が必要です。

僕たちは「家の中」にいるとき、ほとんど全てのことを思い通りにコントロールすることができます。この「家の中」にいるということが「平穏に生きてゆく」ということになります。そしてそれが、目指すべきゴールだと無意識に思っていました。

ただ、平穏に生きてゆくことが難しいとき、もう一つの道があります。

「冒険」という道です。

家の中にいるときと比べて「家の外」にいるときは、コントロールできないことが増えますよね。家の外でも「旅行先」になると、コントロールできないことだらけです。

そういった環境ではストレスが増えますが、その分、彩り豊かな経験ができるはずです。

そしてその環境を自ら「冒険してゆく」という感覚を持つことで、「損をしているような気分」を帳消しにして、自分の人生を大きく肯定することができるようになるんじゃないかと思うんです。

国際恋愛に限らず

「国際恋愛の悩み」というテーマで書き始めた記事ですが、国際恋愛に限った話でもなくなってきました。

こういった僕たちの悩みは、人の意識や社会システムに捉えられずに、こぼれ落ちたものだといえるのではないでしょうか。

それはつまり、僕たちは「時代の最先端にいる」ということです。

僕は苦しくなったときに、この言葉を思い浮かべます。ほんのなぐさめ程度にしかなりませんが、苦しくて心が狭くなっているときに、この言葉が安らぎを与えてくれるからです。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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