詩集を出版しました!こちらをクリック

生きづらさを抱えていた僕が英語を習得したあとに見えた景色

もくじ

はじめに

僕が英語を話せるようになったのは、30歳のころでした。

それまでの人生と、それからの人生で、僕の世界は大きく変わりました。日本がすべてだと思って日本で生活するのと、日本は196か国の中の1つの国だと認識して生活するのでは、心理的に大きな違いがあります。

「世界が広がる」というありふれた言葉。いまいちイメージしにくい、その大きな変化について語ります。

「ノリ」「雰囲気」「常識」

僕は、子供のころから集団の中にいるのが苦手でした。

集団の中で、自動的にできあがる「ノリ」についていけませんでした。会社に所属していると、それぞれの会社の「雰囲気」に飲まれます。一つの国にいれば、絶対的な顔をした「常識」に縛られます。

「日本が世界の全て」だと思っていたころのことです。

この「ノリや雰囲気、常識に自分をしっかり合わせないとはじかれる」という恐怖がいつもありました。

たった一つの集団からはじかれたところで、日本にはまだ1億2000万人いるとわかっていても、そのたった一つの集団からはみ出すことに異様なほど不釣り合いな恐怖を感じていました。

日本社会で息が詰まって苦しいとき「外国」という空気穴が助けてくれる

例えば、生まれた瞬間から、自分のことを理解してくれない人のみに囲まれて育った人がいるとします。

彼は、とてつもない生きづらさを抱えながらも、「自分が合わせなくては」「自分が間違っているのかもしれない」と、自分をその集団の型に当てはめようとするんじゃないかと思います。

ですがある日、たまたま全く別の街に行くことになります。そこで、自分のことをものすごく理解してくれる人に偶然出会ったとします。言葉では言い表せないほどの衝撃を受けると思います。

人生の真実を見たような気分です。

そして、また元の場所に戻り、苦しい日々を再び耐えながら生きることになります。

ですが、前とは圧倒的に違うところがあります。人生ではじめて、彼の心に光が生まれたことです。

その光は、彼とその彼を理解してくれた人をつなぎ続けます。か細く、頼りなく見えても、決して消えることのないその光は、彼の生きる根源です。

嫌な集団の中で心の意識がもうろうとしながらも、心の奥にあるその光を思いだすと立ち直ることができます。

そして最終的に彼はその集団を抜け出し、違う世界に飛び込みます。この光がなければ、「違う世界に飛び込む」という選択肢すら生まれなかったかもしれません。

例えが大袈裟かもしれませんが、自国という「内の世界」にいるときに、光になるのが外国という「外の世界」です。

日本でノリや雰囲気、常識に縛られているときに、外国の友人や外国の世界観を思いだすと「ふっ」と心が楽になるのがわかります。

そして英語という、新たな世界への切符きっぷが、この手のなかに存在すると気付くのです。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

この記事がよかったら、クリックで応援をよろしくお願いします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

気軽にコメントしてね!

コメントする

もくじ