創作をすると気持ちが豊かになる理由について語ろうと思う。
ちなみに僕は、詩集と写真集を出しているので、よかったらこっちもチェックしてね。
しあわせは常に一秒前にあった 僕はいつも気付くのが遅かった: 詩集本題に戻るけど、理由はずばり「自分だけが体験してきた、自分だけのオリジナルがそのまま反映されるから」だと思う。
ちなみに、理由なんてどうでもいい話だと思うんだけど、この記事自体も作品の一つとして書いているので、作品として楽しんでほしい。
まず、創作には自分の人生の経験や体験、オリジナリティが反映される。
じゃあ何故、自分のオリジナリティが反映されると、嬉しくて豊かな気持ちになれるのかというと、「できる、できない」の世の中で、自分の限界性に気付いた人間が、オリジナリティを発揮することで、自分の価値のようなものを、自分ではっきりと認識できるからだと思う。
社会の中で生きる人は、大人も子供も、嫌でも比較競争の世界に入ることになる。
僕が子供のころに興味を持っていたものは、絵や詩やマラソンや工作、テニスなどいろいろある。
それをただ楽しんでいたいけど、途中で邪魔が入る。
友人や他人との競争になり、僕が住んでいた地区やもっと大きな場所から見た場合の自分のランクを意識するようになり、テレビやユーチューブを見ると「上には上がいる」というような、競争の上での果てしない話になってくる。
こうなると、自分にはなにも取り柄がないんじゃないのかと思えてくる。
僕ができる全てのことは、地球上の誰かがやれば全部できる。
自分はただのロボットになったような気分だ。
「僕の存在を、どう肯定したらいいかわからない」「僕の価値は、なんなのだ」と思えてくる。
でも、創作活動では全てがオリジナルだ。
絵を描くとしたら、筆の先についた水っぽい青色を、自分の身体をつかって、自分のタイミングで画用紙にたらす。
そのとき、くしゃみをして、その自分の身体の揺れからできた、青い絵の具の模様は、僕のオリジナルだ。くしゃみをしたのは、昨日の夜、寝るときに布団をかけないと判断した僕のオリジナルだ。布団をかけないと判断したのは、寒さに強くなりたいという欲求がある僕のオリジナルだ。
自分だからつくれた作品を眺めていると、じんわりと自分の存在を感じられる。自分の価値を信じられる。豊かな気持ちになれる…。
だからもっというと、創作活動をしていると気持ちが豊かになる理由は「自分の存在を感じられる」「自分の価値を信じられる」からだと思う。
「創作活動をすると自分の存在を感じられること」について、別の角度で説明しようと思う。
まず人間は孤独だ。
孤独というのは一人ぼっちのことをいうのではなく、自分と同じ人間は存在しないということ、つまり、自分は完全はオリジナルだと突き付けられることをいう。
別の表現をするなら「無重力の宇宙空間のなかを、上にも下にも左にも右にも、行けそうで行けずに、さまよっている」イメージだ。
「手でもがいても、地球だったら得られるはずの空気の反動が得られない」「どこかに行こうとしても、最初の一歩がない」それが孤独だと思う。
人間の孤独について、意識できているかどうかは別として、実はみんな孤独だ。
そんな中で、自分のオリジナリティを記す創作の世界には、空気がある。
なぜかというと、創作の世界は自分がつくった世界だからだ。現実の世界とは異なるから、空気という欲求を存在させることができる。
そして、空気が存在する創作の中では「手でもがいたときに、空気の反動が得られる。どこかへ進んでいる。飛んでいるような気分にさえなる」ように感じられる。
そして、空気の反動から自分の存在を感じられる。
だから、創作をすることで豊かな気持ちになれる。
でもこうやって書いてみると、「自由で無限の可能性が広がるイメージ」の創作は、儚い人間の必死の叫びのように感じる。
「自由で無限の可能性が広がるイメージ」からは、遠い。
だけど、創作の世界のなかでつくりあげた「世界」に没入した人間の心には、無限の可能性が広がっている。

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