不安について
なぜなのか「全ての不安を解消し、不安の全くない状態がゴール」だと、ぼんやり思っていました。
34年間生きてきて、「不安が一つ消えたと思ったら、また新しい問題がやってきて」を何度もくり返すうちに、「不安が全くない状態がゴール」というのは、あまりにナンセンスだと気が付くようになりました。
それは、「いろんな雑音を感じながら、街を歩く人生」というよりも、「街の中のゲームセンターにある、もぐら叩きにヤッキになっている人生」なんじゃないかと思いました。
不安があるのが正常
もちろん、不安がある状態というのはとてもしんどいですし、僕も「今ある不安をどうやったら解消できるか」を毎日毎日、意識しながら生きています。
なので、「不安は解消しなくてもいい」「不安は解消するべきではない」と言いたいのではなく、「不安のある状態が普通だと思えることで、不安がある自分の状態を過剰に不安視して、余計な不安を一つ増やさずにすむ」ということが言いたいです。
「不安のある状態が当たり前」「不安のある状態がノーマル」だと思えると、不安を抱えているときの「損している感覚」がなくなります。不安そのものは、変わらずそこにあり続けますが、「損している感覚」というものが一つなくなるだけで、かなり気が楽になるのを感じます。
不安を抱えている状態が正常なんです。
例えば「この世に、この悩みを抱えているのは自分一人だけなんじゃないか」という孤独感の中で、同じ悩みを抱えている人の存在を知ったときの、「問題自体は変わらずあり続けるけど、ものすごくホッとして、世界がパッと明るくなった」という感覚に近いんじゃないかと思います。
そして、問題は変わらずあったとしても、一つ「楽になる感覚」があるだけで、そこをよりどころに「問題解決のために必要なポジティブな気持ち」をつくりやすくなります。
ただ、「不安」といっても、大きなものから小さなものまで、程度の差はものすごくあると思います。ここでいう不安とは「抱えていても、心身にあまり影響しないレベル」を想定しています。
不安は成長を生んでくれる
不安はエネルギーに変わります。
「この状況をなんとかしたい」という気持ちが、自分を突き動かしてくれます。
その動く方向は人によってさまざまですが、僕の場合は「登山やジョギングをして不安をまぎらわせたり」「ブログを始めることで、人生において、なにか可能性が生まれるんじゃないかと試行錯誤したり」「苦手でも、人付き合いをしてみようとしたり」「不安があることで内省体質になり、大切なことに気付きやすくなったり」しました。
そういうふうに、試行錯誤することで成長できます。
僕は、「特にこれといった悩みがなく、ボーっと生きていけた」ときが、一時期ありました。
その頃は「毎日、特に何かにチャレンジするわけでもなく、代わりばえのない日」を、ただただ過ごしていました。「別に、それで構わない」という人だったら、それで構いませんが、僕は毎日うっすらと虚しさを感じていました。
なので、自分の過去を振りかえっても、「不安があることで成長できる」というのは、本当だなと思えます。
そうは言っても
不安について、前向きな思いをここで伝えました。
ですが実際、生きていたら、そう分かっていても簡単に不安に支配されてしまうものです。そして、鬱々とした気分になり、負のスパイラルにハマってしまいます。そうなったときに、自分でこの記事を読んで、自分の目を覚まさせるためにも、ここに記録しました。
強い人間になろうとしすぎるよりも、自分の気持ちに正直な人間でいたいと思います。
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