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【愛媛県〜栃木県の原付旅】優しさが欲しいなら、まずは自分から与える

もくじ

はじめに

引っ越しのため、愛媛県から栃木県まで6日間かけて原付で移動しました。

最初に結論に入ります。

この原付旅で気が付いたことは「普段、周りの人が冷たいなと思ったら、自分が冷たい態度をとっているかもしれない」「自分がいい態度をとり続けていたら、自分の世界の登場人物は優しい人が多くなる」「優しさが欲しいなら、まずは自分から与える」です。

どこかで聞いたような言葉ですが、実際に旅の中でこれらのことを実感しました。「なぜ、そう感じたのか」その旅の記録を振り返りながら、その理由を語っていきます。

原付旅の記録

1日目

初日は、愛媛県松山市から広島県三原市までです。

広島県三原市に母親が住んでいるので、そこがこの日の目的地です。

この日は一日中曇りだし、知っている道を通るので、原付を走らせていてもあまり楽しくありませんでした。ただ、「しまなみ海道」を通っているときに自転車に乗った外国人の人が会釈をしてくれました。

嬉しくなって、会釈と笑顔を返しました。

その後、三原市に着きます。

三原駅前

久しぶりに会えたので、母親の家で10日間ほど居候いそうろうしました。(この居候している期間は、旅の日数に数えていません)

2日目

母親の家を後にし、この日は兵庫県加古川市まで走ります。

兵庫県加古川市は僕の友人が住んでいるので、そこが目的地になりました。

岡山県を走っているときに、僕の50ccの原付よりもはるかに排気量の大きな中型バイクが僕のあとを走っているのに気が付きました。信号待ちの間、ミラーでチラッと後ろを見たとき、かすかに会釈をしてくれたような気がしました。

でも、かすかだったので「僕の勘違いかな」と思い、僕は反応できずに前を向いてしまいました。

その後も、そのバイクは、ずっと僕の後ろをついてきていました。ずっと、というのは20kmくらいです。

抜かそうと思えば簡単に抜かせるはずなのに、20kmもの間、ずっと後ろを走っていたので「これはバイク仲間と認定されて、勝手に一緒にツーリングをしているのだろうか。でも、バイクの世界のことはよく分からないから、これはどういった意味を持つんだろう」と考えていました。

でもさすがに、20kmも一緒に走っているので「これは明らかに意図があるだろう」と思い、信号待ちのときにこちらから会釈をしようとミラー越しに相手を見ました。ですが、この時は相手に目をそらされてしまいました。

その後、道路沿いのドラッグストアに寄りました。

「後ろのバイクも一緒にやってきて、会話ができるかな」と思ったのですが、そのまま行ってしまいました。

なんだったんだろう…。

そして、加古川市に到着です。

この友人の家で、今度は4日間ほど居候いそうろうしました。

居候中

兵庫についた翌日は、友人が仕事で、僕は家に一人でした。

なので、山登りに行きました。

ところで、僕は関西人に対して偏見を持っていました。関西人はフレンドリーな人が多いというものです。

なので、兵庫県についた当日、散歩をしていたのですが、道を歩く「感じのよさそうな人」にあいさつをしていました。すると、向こうも笑顔であいさつを返してくれました。そして、「おぉ、さすが関西!」と、このときは感動していました。

そして、この日の山登りの最中も、すれ違う人にあいさつをしていました。

すると、ほとんど全ての人が「感じよく」あいさつを返してくれました。中には、一言二言やりとりをしてくれる人や、長く話してくれる人もいました。

「さすが、関西!いいなぁ!」と、このときも感動していました。

播磨アルプス

3日目

友人宅を出発します。

この日の目的地は愛知県でした。

兵庫から大阪府までの道は、都会的で複雑で、車のスピードも速くて怖かったです。しかも、僕は原付なので、ボーっと走っていたら「入ってはいけない道」に入りそうになるので、常に神経をとがらせていました。

ですが、さすがに疲れたのでメインのルートを走るのはやめて、北のほうの田舎の道を走ることにしました。

しばらく走っていると雨が降ってきました。

そのとき僕はまだ京都でした。そろそろ、今夜の宿を見つけないといけないので、ネットで見つけた安いホステルに電話をして、「原付を置ける場所はあるか」尋ねると、「置ける場所はありません」ということでした。

諦めて、他のホステルに電話をしましたがつながりませんでした。

雨は変わらず降り続けています。だんだん、心細くなり「少々高くてもいいや、早く宿に着いてリラックスしたい」と、ビジネスホテルに電話をしました。「原付を置くスペースはありますよ」とのことで、予約を完了し、ホテルに向けて出発です。

ホテルの場所は、滋賀県。

雨が眼鏡にあたって、グラスに水滴がたくさんつきます。走るほどに増えていって、前が見えにくくなります。赤信号で停車中するたびに、カッパの下に来ている綿のTシャツで拭いていたので、ホテルに着いたときには、Tシャツがびしょびしょでした。

部屋に入り、「なんて落ち着く場所だ」と思いながら、普段は見ないテレビをボーっと見ます。近くのスーパーで半額の総菜を買って、部屋でのんびり食べました。

スマイルホテル

4日目

この日は滋賀から静岡県浜松市まで移動します。

朝から雨でしたが、すぐにあがるということでした。早く栃木県に着きたいので、早朝から出発します。

バイク置き場で原付を取り出そうとしているときに、大型のバイクに乗った2人組が「松山から?」とフレンドリーに声をかけてくれました。「そうです!」と答えると「松山というと道後温泉?」「気を付けて!」と見送ってくれました。

知らない土地にずっといて心細かったので、嬉しかったです。

肉汁うどん

その後、雨の中を走り続けました。

午前10時には雨があがるという予報でしたが、12時になっても雨に降られていました。

トイレにいきたくなったので、適当な建物の駐車場に駐車しました。高速道路のサービスエリアでした。岐阜県にある養老サービスエリアです。

トイレを済ませたあと、お土産コーナーにいってお土産を買うときでした。レジのおばちゃんが、ものすごくフレンドリーに対応してくれました。僕は雨に濡れた姿でヘルメットを抱えていたので「バイク?気を付けてね!」と笑顔でいってくれました。

その後、雨があがり、今度は肌が焼けるくらいの晴天になりました。

雨の中を走行するときの緊迫感から解放されて、きれいに晴れた愛知県を走っている途中、歩道で自転車を漕いでいた小学生1年生くらいの男の子が、こっちを笑顔で見て、僕に向かって手を振っていました。一瞬、頭の中に「?」が浮かびましたが、こちらもすぐに笑顔で手を振り返しました。

そして、そうやってすれ違った後、すごく爽やかな気持ちになりました。

一瞬、「からかわれたのかな?」と思いましたが、男の子の表情はクリアで澄んでいて、笑顔も純粋でした。「あぁ、多分、本当に笑顔をくれたんだな」と思いました。「でも、なんでだろう」と考えました。「僕は今、自分で思うよりも、いい表情をしているのだろうか。それに反応して、手を振ってくれたのかもしれないな」と思いました。

そんなことを考えていると、またすぐに、すれ違いのロードバイク乗りの男性が、こちらに手をあげて笑顔をくれました。かなり嬉しくなりました。

「やっぱり、いま僕は気持ちが良くて、いい表情をしているから、あいさつをくれるんだな!」と確信しました。

「もう一度起こるかもしれない」と、より笑顔を意識してしまったので、その後はなにも起こりませんでした。

そして、今夜のホテルがある静岡県浜松市に到着です。

ホテルのスタッフが優しいのは当たり前かもしれないけれど、なんだか優しくて、ホテルのエレベーターで一緒になった人も優しくて、「あれ、日本ってこんなに優しい人、多かったっけ?」と頭の中が「???」状態になりました。

5日目

この日は、一日中雨の予報です。

そして目的地は、神奈川県相模原市。

かなりハードな一日になりますが、早く栃木に着きたかったので、「出発」の一択でした。

この日の山場は、「箱根峠」越えでした。雨が降って視界が悪く、峠あたりは霧も立ち込め、気温も11℃と低く身体はガタガタ震え、そして車が走る狭い峠道を、濡れた路面に気をつけながら走りました。

オシャレな観光客で賑わう箱根を、原付で、雨の中、寒く、視界の悪い状態で一人走っていると、「ここは僕のいるべき場所じゃない。早くこの場から消え去ってしまいたい」とものすごく心細く、弱気になりました。

そして、峠を越えたあと、今日のホテルに着きました。

この日も、ホテルのエレベーターで居合わせた人と一言やりとりをしました。優しい女性の方でした。「優しい人、多い気がする…」と思いました。

6日目

そして、最終日。

実は、愛媛県から栃木県までの距離を原付で走っていたら、「さすがに一回くらいはクラクションを鳴らされたり、なにか嫌なトラブルに巻き込まれたりするんじゃないか」と思っていたのですが、一回も起こることなく、目的地の栃木県に辿り着きました。

「現実は、こんな感じなんだな」とボーっと思いました。

原付旅を振り返って気付いたこと

この旅を振り返って思ったことは、「優しい人ばかりと出会ったな」「それが、ものすごく意外だったな」ということでした。

ですが地元に住んでいたころは、そうは感じていませんでした。

なぜなのか?

僕は原付旅のあいだ中、自分の好きなことである「旅」をしているので「ずっと、気分が爽やかで前向き」でした。初日はそうでもありませんでしたが、声をかけられた「しまなみ海道」を走っている間は、そうでした。

なるほど。

やはり、自分が人生を楽しんで前向きな表情をしているときだと、「明らかに人から声をかけられたり」「優しくしてくれたり」するんだなと気が付きました。

兵庫で山を登っているときに「関西の人はフレンドリーな人が多くて感動した」のですが、あれは実は、半分は「自分自身がもたらしていたのではないか」と気が付きました。

「関西の人はフレンドリー」だと思っていたおかげで、こちらも最初から心をひらいて関西人に接していたのだと思います。そして、関西人からしたら「お、この人はフレンドリーな人だな」と僕に対して思い、僕に心をひらいてあいさつができるわけです。

実際に、関西の人にフレンドリーな人が多いという傾向はあるかもしれませんが、場所がどこであれ「自分の態度次第で理想の環境がつくれる」のではないかという本質に気が付きました。

普段の生活にどう活かすか

栃木に着いたあとに、パートナーと「日光江戸村」というテーマパークに行きました。

日光江戸村

そこで楽しんだあと、テーマパークを後にするとき、出口にスタッフが立って「ありがとうございました」などの声掛けをしていました。

僕たちの後ろには子供連れのファミリーがいました。

僕たちがゲートを出るときにスタッフさんは僕たちにも軽く会釈をしてくれましたが、後ろの子供連れのファミリーのほうに笑顔でたくさん話しかけていました。

帰りの電車のなかでパートナーにそのことを伝えました。

「僕も子供になりたいな。そしたらスタッフさんは僕にも優しく接してくれる。出口のゲートにいたスタッフさんは、僕の後ろの子供にすごくフレンドリーに話しかけていた」といいました。

するとパートナーは「じゃあ、〇〇はそのスタッフさんにちゃんと目を合わせて、笑顔であいさつした?」「何かが欲しいんだったら、まずは自分から先にそれを与えないと、得られないよ。ただし、与えたからといって返ってこないこともあるけど、それは相手の自由だからね」と答えました。

確かに、自分はそのスタッフさんに笑顔であいさつしていませんでした。機械的な対応をされて傷つくのが怖いので、目も半分くらい合わせた無難なあいさつをしていました。

「優しさが欲しいなら、まずは自分から与える」

よく聞くような言葉だけど、今回の原付旅をしたあとの僕は、この言葉の意味がはじめて理解できました。

フレンドリーで優しい対応をされると嬉しいので、普段の生活の中で、僕のほうからそういった態度を示していこうと思いました。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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