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【HSP】内向的な人見知りはジョギングで世界を知る

もくじ

繊細な人

人見知りの人はいますか?

外に出るのが億劫だったり、道で人とすれ違う時に「いま歩いている道のどのレーンを歩いて、目線をどこに向けて、どんな表情で」歩くか、いちいち考えて緊張したり。

人が自分を見ていると少し怖くなったり、「なにか敵意を向けられているんじゃないか」考えても答えの出ないことを考えてしまったり。すれ違いざまの人のちょっとした仕草の意味を考えこんでしまったり。

アパートのドアを出たあとの共用部分で、もし人とすれ違ったら、とっさに声が出ないから、ドアを出る前から、時間帯に合わせて「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」の言葉を口元にあらかじめ用意していたり。

そんな繊細で、人見知りな人はいませんか?

僕は、そうです。

外の世界や人との関りの中で起こる些細なことに注目してしまい、オートマティックに想像力の翼が広がり、それで気分や感情が左右上下に揺さぶられて、疲れてしまう。しんどくなる。最終的に、自己嫌悪に辿り着く。

そんな日常ですが、今度は外に出ないと、気分が沈む、悪い意味で感覚が鈍くなる。閉じこもると、後れを取っている気がして焦る。それも、しんどい。なので、外には出ないといけないし、出たい。

その問題を解決してくれたのが「ジョギング」でした。

人に対する恐怖心が薄れる

まず、身体を動かしていると、気持ちが少し強くなります。

正確には、動かしている間は強くなります。そして、終わった後もしばらく、その余韻は残ります。これは僕自身の、運動を始めてからの二年間の、経験ではっきりと分かっていることです。

運動をしていると、細かなことに気が向かなくなり、気持ちもアグレッシブになります。そして、対照的に、人に対する恐怖心も薄れていきます。

ジョギングは運動強度が高いし、スピードを自分で調整しやすいですよね。

運動強度が高いと、ハアハアと息を切らしたり、頭が真っ白になったりしますよね。この瞬間に難しいことを考えろと言われても、無理です。

街を走りながら人とすれ違っても、「なんであの人はすれ違う瞬間に、怖い顔になって、独り言を言い始めて、歩いているレーンをこちらに若干寄せてきたんだろう。それは、多分、僕が今日着ている服の色が威圧的に感じて、そのせいで…」なんて細かいことを考えられなくなります。

考えていたら息が乱れるので、「まぁ、いい。前を向いて走り続けることに集中しよう」となります。

そして、普段の生活では考えられないほど多くの人とすれ違います。数をこなせば、慣れが生じます。ジョギングは人とすれ違うトレーニングを積ませてくれます。

そして、何回も人とすれ違っていると、今度はこちらから相手を観察することが、少しだけ、できるようになります。

そして集まった大量のデータをもとに、「怖い表情でこちらに向かってくる人に対して、いままでは怖いと思っていたけど、実はその人も人見知りで、こちらを恐れているから緊張して怖い表情になっているんだな。敵意を向けようとしているわけではないんだな」といった、人間理解が進められるようになります。

いくらか、人生が生きやすくなるのではないでしょうか。

外の世界を知れる

そして、ジョギングのもう一つのいいところは、外の世界を知ることができることです。

ジョギングで身も心も発熱し、火の玉になって走っているときは、「無敵」のような状態です。無敵は言い過ぎですが、外にいることの恐怖や不安が大幅に減ります。そして、普段なら行けないような細い路地も、人の多い場所も、行きやすくなります。

外の景色や看板、新しくできたお店などと、すれ違い続けるときに感じる「外の世界を知る充実感」は、内側に閉じこもり停滞していた自分のバージョンがアップデートされたかのような気持ち良さを与えてくれます。

そして、「あぁ、置いてけぼりをくらっている気分だったけど、今夜の晩御飯作りを頑張れそうだな」と、気持ちを新たにすることができるのです。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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