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【自信をつける方法】自分だけのつらさが教えてくれる、自分だけの「強さ」とは?

基本的に僕は自信がないです。

昔は特にそうでした。ですが、山登りを継続することで、一種の自信がつきました。それでも、よく自信を失います。

僕は子供の頃から、「すごい人」に憧れる気持ちが強かったです。そして、想像していました。「もし、僕がその人に会えたら、話せたら。そして、彼らが僕を相手にしなかったり、拒否したりしたら、とてもショックを受けるだろう」と、とても怖くなっていました。

でも、今は一種の自信があります。

今までは、友達と話しているときに、僕が嫌われそうな予兆があったり、そのようなことを言われたら、自分が崩れそうなショックを受けていました。そして、そうならないように相手に合わせることに必死でした。

でも、いまは自分のなかに「なにか信じるもの」ができました。

おそらく、登山を継続するなかで経験してきた、僕だけのオリジナルな体験が「なにか信じるもの」をつくったんだと思います。

例えば、僕が登った山に登ったことがある人は、数えきれない程いるでしょう。

ただ、そのタイミングだから会えた人や景色、出来事があります。人間は一人一人違った固有の精神世界を持っています。その固有の精神世界をもった自分だから、感じられたことや考えたこと、気付いたことがあります。

自分の経験というのは、その時間、その場所、その経験、その時の自分だから感じたこと。つまり完全なオリジナルなんです。

だから僕は自分のなかに「なにか信じるもの」を、ずっと持っています。

例えば、大谷翔平のようなすごい人に会ったとして、もし相手にされなかったり、好かれなかったとしても、大丈夫。それでも、自分は自分でいられる自信があります。それは「自分の心のなかに、なにか信じるものがあるから」です。僕のいう自信とは、こんな感じです。

(「なにか信じるもの」というのは、僕固有のもの。大谷翔平に相手にされなかったとしても、「大谷翔平は僕よりも多くのことを知っている。でも、悲しまなくていい。僕も大谷翔平が知らない多くのものを知っている。それは、僕固有のものだ。)

もちろん、嫌われたり相手にされなかったその瞬間はショックを受けます。でも、すぐに立ち直れる。これが、僕の自信です。

そして、この話は友人にも当てはまります。

昔は、友達に嫌われそうになったら、嫌われないように相手に合わせていました。でも、それはやめました。何故なら、それをすると自分がすごく傷つくからです。

自信をつくるものは登山のようなポジティブなものだけに限りません。

自分が経験してきたつらさや苦しさも、自信のもとになりうると思います。

自分のつらさというのは自分固有のものだから、程度とかの話ではなくて、自分がそれをつらいと思った気持ちが大事で、それは他の誰にも分からないもの、つまり固有のもの、自分だけのものということです。

自分の信じるものというのは、自分が見つめ続けているもの。喧騒のなかにあっても、いろんな人の中にいても、「ある一点だけは忘れられない」「視界から外れない」という、決意のようなものです

僕は昔、友達がいなかったのですが、友達もどきはいました。

その人たちは別に僕のことが好きというわけでなく「単に人数合わせのため」とか「つまらなさを埋めるため」という感じで僕を誘い、僕も友達がいなくて寂しかったのでついて行っていました。

カラオケで一晩中歌うのが、恒例でした。

僕は始まって二、三時間くらい経つと帰りたくなるのですが、そんなことをしたら誘ってもらえなくなると思って、無理して自分を盛り上げていました。

ただ、その中で毎回、明け方5時ごろ、その孤独感のなかで考えることは、ただ一つでした。そのときは何かわからなかったけど、ある一点をずっと、歌っているときも歌っていないときも見つめていました。

それは、気持ちでした。

その気持ちというのは、その時は具体的に言葉にできていなかったし、それが何なのかわからなかったけども、「不快という感情」「ここから逃げ出したいという気持ち」そして、「でも逃げ出したとしても行き場がないという気持ち」、そして「自分の居場所を見つけたい」「自分を受け入れてくれる人を探したいという強い気持ち」そのような孤独な感情をずっと見つめていました

そして、そういう気持ちを見つめ続け、今になって思うことは「案外、多くの人は僕が思うよりも弱く、案外、僕は自分で思うよりも強いということでした」。

多くの人は、自分を強く見せるのが上手に見えます。

だけど、信じるものを持つことで、「見た目が弱くても、弱そうに見えても、泣いても、うまくいかなくても」何とかやっていけるような、そんな自分だけの居場所を自分の内に作っていたんだなと、今になって気付きます。自分の心の中にある自分の部屋のようなものです。

自分だけの、自分にしかわからないつらさや痛みは自分だけのものだから、完全にオリジナルです。

もし例えば、大谷翔平でも友人でも誰でもいいのですが、すごい人に相手にされなかったり、否定されたり、受け入れられなかったりしても、「自分が相手に足りなかったとしても、相手も自分に足りてないけどな」「自分は相手のことを全然わかっていなかったかもしれないけど、相手も全然自分のことわかってないしな」と思える。それが心の拠り所になる。前進する力になる。確信できる自分だけの、自分にしかわからないものが一個あることで、自分の視点が決まる。だから、物事を始められる。スタートできる。

友人に受け入れられなくって、好かれなくて、傷ついたとしても、その時は多分その友人が「僕より素晴らしくて魅力的で」というふうに感じて落ち込むかもしれないけど、その逆もそうです。

自分のつらさは完全にオリジナルのものだから、向こうを上回る自分の魅力もある…。まぁ、上回るとか上回らないとかじゃなくて。

例えば、上回るっていう話で言ったら「僕も上回っている」ということになる。

その個性オリジナルという点において、個性オリジナルという視点からみると、誰もが誰をも上回っていて、誰もが誰もを下回っているので、結局上とか下じゃないという話になってきます。

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著者

栃木県在住の34歳。
34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越したばかり。仕事もやめて、無職になる。同性愛者・躁うつ病患者(現在は寛解している)。趣味は登山。フィリピン人のパートナーと生活しながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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