【国際恋愛 ♯6】義両親、パートナーの職場の同僚とカラオケに行く&そしてお別れの日

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もくじ

ご両親、パートナーの職場の同僚とカラオケにいく

僕のパートナーであるソーマは、幼稚園で英語の先生をしている。

毎朝、8時に家を出るのだけれど、そのときにお義父さんのサニーさんも、散歩がてら一緒についていくときがある。

するとその日は、職場の幼稚園の近くで、園長先生とばったり遭遇した。

ソーマが一緒に歩いているサニーさんを「僕のお父さんです」と、園長先生に紹介した。

そこから会話が弾み、園長先生がお義父さんをカラオケに誘ってくれた。そして、園長先生はお義父さんを、幼稚園の中にも誘った。

お義父さんは、幼稚園の中に入れるのを聞いて、ワクワクしていたみたいだけど、ソーマはお義父さんと一緒に幼稚園に入るのが恥ずかしいのか、嫌らしく、「あっ、お父さんはこれから行くところがあるので」とお義父さんを家に帰した。

後日、お義父さんとお義母さんは、ソーマの職場の同僚とみんなでカラオケに向かった。ちなみに僕もちゃっかり参加させてもらった。

カラオケに来た職場の同僚はほとんどがフィリピン人で、シンガポール人が一人と、フィリピン人と日本人のハーフの人が3人いた。

毎回思うのだけど、フィリピン人の集まりに行くときは、いつもあんまり緊張しない。ただリラックスして、その場を楽しめばいいだけなので、変な気を遣う必要もない。すごく楽で、楽しい。

なんというか、こちらからも向こうからも、相手に深く干渉しようとしにいくわけでもないのに、何となく、一体感を感じられて心地いい。これは、なんなのだろう。

そして、フィリピン人同僚が僕に向かって「これ、知ってる?」と、日本の曲を歌いだした。

一つはスラムダンクの歌で、もう一つは「烈火の炎」というアニメの曲らしい。

ペラペラの日本語で、日本の歌を熱唱しているフィリピン人の姿を見て「おぉ、日本の歌を歌っている…!」と感動した。

ご両親とのお別れの日

そして、この日がやってきた。

いくら、気を遣わなくていい義両親だからといっても、一人の時間が必要な僕にとって、いつも一人になれない環境はストレスでもあった。

だから、それを抑えきれすに、イライラをご両親にぶつけるときもあった。

それ以外にも、日本とフィリピンの文化の些細な違いに、僕がいちいち引っかかたりもしていた。

ちなみに、僕とソーマの間で文化の違いを感じたことはほとんどない。というのもお互いに、若い世代なので、国は違えど、インターネットを通じてグローバル化した世界に住んでいるということで、感覚が近くなるんだと思う。

だけど、日本人もフィリピン人も、高齢になればなるほど、その国のもともとの文化やスタイルをずっと持っているんだと思う。

だから、ご両親のスタイルと、僕の価値観が合わずに、僕が一方的にイライラすることも何度かあった。

具体的にいうと「お茶碗に盛ったご飯を、最後にしゃもじで上からギュッギュッと押す」ということがあった。

本当に些細で、しょーもなさすぎるんだけど、日本人の僕としては「ご飯はふっくらしたほうが美味しいのに、なんで押すんだ!」とストレスを感じた。

そのこと一つだけだったら別に見逃せるんだけど、一人でいられないことのイライラや、些細なストレスが積み重なって、「なんで、自分はこんなどうでもいいことでイライラしてるんだろう」と、自分でもよくわからなかった。

自分の度量の狭さと、常識でガチガチに固められた頭の固さが、もろにあらわれた。

そんな僕に対しても、ご両親は気を遣って、ソーマに「何がいけなかったのか」を僕のいないところで聞き出し、直そうとしてくれていた。

心の狭い僕と、器の大きなご両親がいた。

しばらくしたあとで、僕は頭がさめて「なんでどうでもいいことで、あんな態度とってしまったんだろう」と思い、ご両親の部屋に行って「さっきは、ごめん。一人の時間が好きだから、一人でいられないことにストレスを感じていて、感情をコントロールできなかった。二人のことは大好きだから、そのことと、コントロールできない僕の感情は別のことだからね」というと、部屋で大人しく縮こまっていたご両親は二人とも笑顔になって「気にしなくていいよ!大丈夫、大丈夫!元気になってよかった!」と言ってくれる。

心の狭い僕を、器の大きなご両親が包んでくれた。

そして、最終日。

僕とソーマとご両親と、大量のお土産が入ったスーツケースをレンタカーにのせ、成田空港近くのホテルまで走った。

本当は成田市で最後の観光をする予定だったけど、僕が運転で疲れていたので、そのままホテルで翌日の朝までのんびりした。

翌朝になった。

みんなをつれて、レンタカーを走らせる。

成田空港のロータリーで車を停車させて、僕以外の3人が空港の中に向かった。僕は車内にいないといけないので、車の中でソーマの帰りを待っていた。

そして、二人が無事に空港のチェックインを済ませ、ソーマが帰ってきた。

二人で、家までドライブをする。

3ヶ月間、大仕事をやったあとのような達成感と、疲れがじわじわと出てきていた。

家に帰ると、また僕とソーマだけの静かな日常生活が始まった。

ご両親の部屋を見ても、ご両親も、二人の荷物も笑い声もない、カラッとした部屋だった。

夕方になり、晩御飯の支度を始める。

きのこを切っていたのだけど、包丁の切れ味がすごくよかった。

ソーマにそのことを伝えると、サニーさんが一昨日、全ての包丁を研いでいたということだった。そうえいば、一昨日の夜も、いつもと変わらずサニーさんが、洗面所のシンクをきれいに洗ってくれていた。

「一昨日、サニーさんがシンクを掃除してくれていたのは、泊めてくれてありがとうという意味だったのかな」とソーマに聞くと、「うん」と返ってきた。

「じゃあ、包丁を全部研いでくれたのも、ありがとうのしるしだったのかな」と聞くと、また「うん」と返ってきた。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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