【メンタル日記】超越的な「何か」を信じることで僕は生きていられる

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悩みやしんどいこと、苦しいこと不安なこと、自分が情けなく感じること、劣等感、過去の記憶、人には理解できないどうしようもない自分の弱さ、自分の価値を誰かに教え続けてもらわないと生きていけなくなるような気持ち。

いろんな負の感情が渦巻いているその世界の中を、人生という道が通っている。

僕は子供のころ、複雑な家庭で育った。

それでも「負けるものか」と根性で生きてきた。

次に、精神疾患にかかった。

19歳のときにはじめて、精神科を受診した。

僕も母親も精神疾患をもっていた。二人とも働けるような状態ではなかったので、生活保護で二人で暮らしていた。

僕は母と一緒に、精神科病棟のデイケアに通っていた。

20代前半のころは、デイケアでなにもせずに過ごしたり、新聞の折り込みチラシを見たりしながら過ごしていて、他の20代とは全く違う世界に住んでいた。

しばらくして体調が少しよくなってきたころ、僕は一人で生活訓練施設「きらりの森」に通うようになった。そこでは、ご飯を食べる練習をしたり、アイロンがけをしたり、散歩をしたりしていた。

当時、大学時代の同級生から連絡がくることもあった。

みんな大学を卒業して、就職している「社会人」だ。いろんな経験をつみながら、お金を稼いでいる彼らがまぶしくてしかたなくて、自分が恥ずかしかった。

僕は精神疾患で働けていないことを彼らには伝えなかったし、他のどんな人にもいいたくはなかった。

見当違いな反応がかえってきて、孤独な気持ちになるからだ。

そして、精神病があるというと、どんな偏見にさらされるかわからないという恐怖心をもっていた。

そんな、折り合いがつけられない自分を抱えながらも、自分と向き合うことで、なんとか自分の精神疾患を受け入れることができた。

ちなみに、僕は同性愛者だ。

このことも、受け入れられるまでつらかったけど、最終的になんとか受け入れることができた。

自分でいってはいけないのかもしれないけれど、僕なりにかなり頑張って生きてきたと思う。

そして、いまのパートナーに出会った。

最高のパートナーだ。

ちなみに彼はフィリピン人だ。

彼と出会うまであまり意識してこなかったけど、彼と付き合い始めてから、誰かと話しているとその言葉の節々から外国人(とくに東南アジア人)に対する偏見が見え隠れするのを感じることがある。

パートナーと二人で出かけていても、あからさまに嫌なことをしてくる人に、本当にたまにだけど、出会う。

こういう人は、僕が日本人でパートナーも日本人だったら、出会わなかったであろう人たちだ。

このことが僕の、この5年間の一番のストレスになっている。

このことにうまく対処して生きていこうにも、過去のトラウマや、精神疾患、同性愛者であることで傷ついてきたことで、もう疲れ切っていて、どう立ち向かったらいいかわからなくなるときがある。

そして心が過敏になり、不安が増殖され、頭の中ではいつも追い詰められたような考えが広がっている。

そうすると、生きるのが本当に嫌になる。

それでも生きていられるのは、「何か」に辿り着けるかもしれない、「何か」が僕を見てくれているかもしれない、「何か」が僕に語りかけるかもしれない、「何か」がわからなくてもその何かがわかる日が来るかもしれない、「何か」はいままでの僕のすべての景色がひっくり返るほど美しいものかもしれない、という「何か」に対する気持ちがあるからだ。

その「何か」というのは、どんなインテリでも科学者でも、語ることができないものだ。

どんな限界をも超えるものだ。

それを人は「神」と呼んできたのかもしれないけど、もしかしたら神かもしれないし、ほかの何かかもしれない。

この僕の記事を読んで、僕が「怪しい宗教」のような話をしている人だと思う人がいるかもしれないけど、これはそんな話ではない。

僕の信じている「何か」は、透き通っていて、どんな俗的なものにまみれても汚れない強さをもっている。

僕は思うのだけど、人は苦しくて苦しくてたまらなくて、もうすべてを諦めたとしても、完全に希望を捨て去ることはできない。人は、死にたいと思ったとしても、死のギリギリに来ると「生きたい」という強烈な感情に襲われると思う。希望がなかったとしても、ギリギリまで希望を求めようとする。それこそが希望だと思うのだ。

簡単な言葉でいうと「こんなに苦しんできたんだから、それに釣り合うご褒美が欲しい」ということなのだ。

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著者

栃木県在住の35歳。

双極性障害二型(完解済み)・同性愛者。

34年間住んでいた愛媛県から、栃木県に引っ越し、12年間続けた介助の仕事をやめて無職になる。精神安定剤代わりに始めた登山を、毎週続けているうちに、ニュージーランド1300kmのロングトレイルを歩くことができるようになった。フィリピン人の同性パートナーと一緒に生活をしながら、社会の壁を乗り越え、楽しい日々を送るため、人生をサバイバルしている。

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